「ジャック・オッフェンバック」の版間の差分

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== 〈夢幻オペレッタ〉への変化 ==
普仏戦争以後、聴衆の好みも世相も変化したため、オッフェンバック自身も方向転換を余儀なくされた。そこで、彼は「夢幻オペラ」([[:en:opéra féerie|{{lang|fr|Opéra féerie}}]]<ref>[[メルヘン・オペラ]]というメルヘンに基づくリブレットを持つオペラとは異なる。</ref>)のオペレッタ版の第一作である『{{仮リンク|にんじん王|en|Le roi Carotte}}』(Le Roi Carotte)1872Carotte)を1872年の1月に初演した。この作品では『ラ・ペリコール』あたりから変化し始めた作劇法がさらに進化したもので、セーヌ(情景)という音楽を伴いつつ、台詞で音楽が途切れないスタイルで劇を進行させるものである<ref>森佳子 (著)、『オペレッタの幕開け』P152</ref>。なお、黄金期の1867年に〈まじめな〉様式で彼の芸術を証明する[[オペラ・コミック]]『{{仮リンク|ロビンソン・クルーソー (オッフェンバック)|label=ロビンソン・クルーソー|en|Robinson Crusoé}}』(Robinson Crusoé)を作曲している<ref>『ラルース世界音楽事典』P280~281</ref>。1874年2月に『地獄のオルフェ』の第2版をゲテ座で上演した。1875年2月には『{{仮リンク|ブラバントのジュヌヴィエーヴ|en|Geneviève de Brabant}}』を夢幻劇版に(第3版)に改訂し、同年6月には{{仮リンク|コニャール兄弟|fr| Frères Cogniard }}の夢幻劇『白い雌猫』(La chatte blanche)を作曲したが、それらはすべてゲテ座で上演されている。1875年にはさらに『{{仮リンク|月世界旅行(オッフェンバック)|label=月世界旅行|en|Le voyage dans la lune (operetta)}}』を初演する。この作品では合唱が扱われる場がオペレッタでは考えられないくらいの12場以上となっており、現実的な人物が合唱となっているのではなく、空想上のこととして表現される。この作品では既成概念としての〈音楽とドラマ〉の関係が維持されておらず、現代で言えば〈映画音楽〉のように扱われている。当時は文学を中心に[[自然主義]]が台頭していたため、夢幻劇はほとんど評価されなかったが、オッフェンバックが音楽表現上、常識を覆すような試みを行ったことは確かである。また、『ホフマン物語』への橋渡し的役割を果たしたと見られるため、「夢幻オペレッタ」への偏見は払拭されて当然と見られる<ref>森佳子『オッフェンバックと大衆芸術』P208~221</ref>。なお、{{仮リンク|マルセイユ市立歌劇場|fr|Opéra municipal de Marseille}}によって『月世界旅行』の上演がフランス国内の地方歌劇場の大規模な提携により予定されている<ref>[https://opera.marseille.fr/programmation/opera/le-voyage-dans-la-lune  マルセイユ・オペラのホームページ、2021年10月7日閲覧]</ref>。
 
== 受容 ==