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|年俸=
|経歴=
* [[ミルウォーキー・ブルワーズ]](2001 (2001 - 2008)2008)
* [[オークランド・アスレチックス]](2010) (2010)
* [[アトランタ・ブレーブス]] (2012)
|代表チーム = {{Flagicon|USA}} [[野球アメリカ合衆国代表|アメリカ合衆国]]
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プロ2年目の{{by|2000年}}、[[2000年シドニーオリンピックの野球競技|シドニーオリンピック]]に[[2000年シドニーオリンピックの野球競技・アメリカ合衆国代表|野球アメリカ合衆国代表]]として出場する。予選リーグの[[2000年シドニーオリンピックの野球競技・日本代表|日本]]戦では[[松坂大輔]]と投げ合い7回4安打無失点、決勝の[[2000年シドニーオリンピックの野球競技・キューバ代表|キューバ]]戦では[[ペドロ・ラソ]]と投げ合い3安打完封勝利を挙げるなど、3試合22[[イニング]]で[[自責点]]1・[[防御率]]0.41の活躍を見せ金メダルを獲得した。マイナーリーグではAA級の[[ハンツビル・スターズ|ハンツビル]]とAAA級の[[インディアナポリス・インディアンズ|インディアナポリス]]で8勝8敗・防御率2.40の成績でブルワーズ傘下の最優秀選手に選出された<ref name="sunnews"/>。
 
翌{{by|2001年}}のシーズン開幕前には[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|新人王]]の有力候補の1人に挙げられ、また本人もメジャー昇格に焦点を絞っていた<ref name="mml200109">[[梅田香子]]「ミルウォーキー発 直撃インタビュー/ベン・シーツ[ブリュワーズ]」 『[[月刊メジャー・リーグ]]』2001年9月号、[[ベースボール・マガジン社]]、2001年、[[雑誌コード|雑誌]]08625-9、70-71頁。</ref>。投手不足に悩んでいたブルワーズも何とか育ってほしいと期待をかけていたが、その一方で当時の監督[[デービー・ロープス]]は「メジャーのバッターは、彼がオリンピックで対戦した相手とは違うんだよ」と語っていた<ref> 「30 CLUB MONTHLY REPORT  各球団マンスリー・リポートミルウォーキー・ブリュワーズ  いよいよ頭角を現し始めた有望株  新人シーツの前評判に違わぬ投球」『月刊メジャー・リーグ』2001年7月号、ベースボール・マガジン社、2001年、雑誌08625-7、62頁。</ref>。
 
=== ブルワーズ時代 ===