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'''春原 五百枝'''(はるはら の いおえ)は、[[平安時代]]初期の[[公卿]]。当初'''五百枝王'''を名乗るが、春原朝臣姓を賜与され[[臣籍降下]]。[[志貴皇子]]の玄孫{{Efn|『[[本朝皇胤紹運録]]』、『[[公卿補任]]』、『[[続群書類従]]』巻第172所収「春原系図」では、志貴皇子-春日王-安貴王-市原王-五百枝王、と繋げる。しかし『[[新撰姓氏録]]』(左京皇別)では春原氏(春原朝臣)を[[川島皇子]]の後裔とする。また、黒板伸夫・森田悌 編『訳注日本史料 日本後紀』(集英社、2003年)は、「春原朝臣」を(祖先である)春日宮天皇(志貴皇子の尊号)の"春"と市原王(安貴の子で、五百枝王の父)の"原"を組み合わせた美称か、と解説している(P1202.)。}}。[[摂津国#摂津職|摂津大夫]]・[[市原王]]の子。[[官位]]は[[正三位]]・[[参議]]。
 
== 経歴 ==