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'''安貴王'''(あきおう、生年不詳(一説では[[持統天皇|持統]]4年〔[[690年]]〕<ref>田辺爵「市原王の系譜と作品」『美夫君志』15号、1972年の説。</ref>、[[持統天皇|持統]]8年〔[[694年]]〕<ref name="o18">大森[1985: 18]</ref>もしくは[[和銅]]3年〔[[710年]]〕<ref name="m110">木本[2021: 110]</ref>) - 没年不詳)は、[[奈良時代]]の[[皇族]]。名は'''阿貴王'''、'''阿紀王'''とも記される。[[品位 (位階)|二品]]・[[志貴皇子]]の孫で、[[春日王 (志貴皇子の子)|春日王]]の子<ref>『[[本朝皇胤紹運録]]』『[[公卿補任]]』</ref><ref>黒板伸夫・森田悌 編『訳注日本史料 日本後紀』(集英社、2003年)は、大同元年54月16日条にある五百枝王(安貴王の孫)が臣籍降下して「[[春原氏|春原朝臣]]」の姓を与えられた記事について、(祖先である)春日宮天皇(志貴皇子の尊号)の"春"と市原王(安貴王の子で、五百枝王の父)の"原"を組み合わせた美称か、と解説している(P1202.)。</ref>。あるいは[[冠位・位階制度の変遷#冠位四十八階|浄大参]]・[[川島皇子]]の孫で、浄大肆・春日王の子<ref>塩谷香織「志貴皇子系譜の疑問-市原王は志貴皇子の曾孫ではない-」『学習院大学国語国文会誌』1980年3月所収。『[[新撰姓氏録]]』では安貴王の子孫の春原氏を川島皇子の後裔とする。</ref>。[[位階]]は[[従五位|従五位上]]。
 
== 経歴 ==