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Chosan san (会話 | 投稿記録)
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== 歴史 ==
急須の原型は[[中国]]で発明され、[[アジア]]では古くから使用されている。日本では古くは「きびしょ(急焼、急尾焼)」と呼ばれた。「急須」という呼び名は、[[青木正児]]によれば、「急須」は中国・呉([[蘇州市|蘇州]]地方)の[[方言]]で酒を温める器、「急焼・急尾焼<ref>「急焼」が正しく、「急尾焼」の「尾」は語の転訛で加わったものであろう。(青木正児『中華茶書』「喫茶小史」)</ref>」は[[福建]]の方言で湯を沸かす器のことという<ref>青木正児『中華茶書』「喫茶小史」春秋社 1962年 全集第8巻所収 春秋社 1971年</ref>。
急須の原型は[[中国]]で発明され、茶を飲む習慣がある文化圏、とりわけ[[アジア]]では古くから使用されている。日本では[[江戸時代]]後期に[[上方]]から江戸に伝わった。「きびしょ(急焼、急尾焼)」とも呼ばれた。
 
本来、湯沸しとして用いられていたきびしょを、[[宝暦]]年間に[[高芙蓉]]が見いだし、[[池大雅]]に話したことが[[木村蒹葭堂|蒹葭堂]]雑録』に記録されている。その頃から上方で製造がはじまったものと考えられ、当時は酒の燗をつけたり、土瓶として使われていたが、江戸では珍しかった<ref>[[東海道中膝栗毛]]・六編上 「図のごときどびんあり。上方にてはこれをきびしょという。いま江戸にも、たまさか見えたり」</ref><ref>同上。弥次郎兵衛は淀川の[[三十石船]]の中ではじめて「きびしょ」を見るが、江戸者の弥次さんはそれが何の道具かわからず、しびんの代わりに使う。そのあと持ち主が知らずに中に酒を入れて燗をつけ、弥次喜多に勧める。</ref>。この土瓶が茶道具に転用されたものとされる<ref>小川後楽『煎茶器の基礎知識』光村推古書院 1986年</ref>。
「急須」という呼び名は、[[青木正児]]によれば、「急須」は中国・呉([[蘇州市|蘇州]]地方)の[[方言]]で酒を温める器、「急焼・急尾焼<ref>「急焼」が正しく、「急尾焼」の「尾」は語の転訛で加わったものであろう。(青木正児『中華茶書』「喫茶小史」)</ref>」は[[福建]]の方言で湯を沸かす器のことという<ref>青木正児『中華茶書』「喫茶小史」春秋社 1962年 全集第8巻所収 春秋社 1971年</ref>。
 
「急須・急焼」といった横手(後述)の湯沸しを、茶を出す道具に転用したのは[[宝暦]]6年([[1756年]])、[[高芙蓉]]による<ref>[[小川後楽 (6代目)|小川後楽]]『煎茶器の基礎知識』光村推古書院 1986年 『[[木村蒹葭堂|蒹葭堂]]雑録』に依拠。</ref>。
 
日本独自の横手急須は、本来、中国で湯沸しとして用いられていたものを、茶をいれる道具に転用したものとされる<ref>小川後楽『煎茶器の基礎知識』光村推古書院 1986年</ref>。
 
各喫茶文化圏で独自の発達も見られ、それぞれ補助的な道具が付随することがある。たとえば日本では[[玉露]]などの低温の湯でいれる茶葉が発達したため「[[湯冷まし]]」を併用することも多い。