「とんぼ玉」の版間の差分

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== 歴史 ==
とんぼ玉がいつ頃から作られていたのかははっきりしない。[[エジプト]]などでガラスの発明から間もない時代に発見されており、古くから製法が知られていたことが分かっている。
[[File:Ancient Egyptian jewelry beads and amulet Penn Museum.jpg|thumb|200px|right|[[ペンシルベニア大学考古学人類学博物館]]「古代エジプトのジュエリービーズとお守り」]]
{{main|{{ill2|サブサハラアフリカのガラスの歴史|en|History of glass in sub-Saharan Africa}}}}
中国でも隋や[[唐]]の時代には、火齊珠・[[玻璃]]と呼ばれた<ref>{{Cite book|和書|author=[[松本幹一|松本晩翠]]|year=1917|title=とはずかたり|publisher=泰山房|pages=228p}}</ref>。
[[File:Beads, China, Warring States period, 5th-3rd century BC, inlaid glass - Tokyo National Museum - Tokyo, Japan - DSC08519.jpg|thumb|200px|right|[[東京国立博物館]]「瑠璃[[象嵌]]玉」中国、戦国時代、紀元前5〜3世紀]]
[[日本]]では、[[吉野ヶ里遺跡]]
、[[原の辻遺跡]]、[[針塚古墳]]、[[馬越長火塚古墳]]、[[船来山古墳群]]、 [[愛宕山横穴墓群]]等から、[[勾玉]]、[[管玉]]とともに小型のとんぼ玉(ガラスビーズ)が出土しているが、これらはエジプトからの輸入品と考えられており、{{ill2|トレードビーズ|en|Trade beads}}等での [[港市国家]]から[[アジア]]を横断する交易ルートの存在を示唆する資料と見なされている。
{{main|{{仮リンク|古代のガラス貿易|en|Ancient glass trade}}}}
[[File:Depicts the completely fair trade of some beads for Manhattan. - panoramio.jpg|thumb|200px|right|トレードビーズでの[[公正取引]]の様子の[[モニュメント]]]]
[[File:Kijik Trade Beads.jpg|thumb|200px|right|アラスカで見つかった19世紀のヨーロッパの貿易ビーズ]]
[[ファイル:Beads, trade (AM 1989.235-11).jpg|thumb|200px|right|ヴェネツィアとペルシャで作られたアフリカの貿易ビーズ。[[ミルフィオリ]]等の[[ベネチアンビーズ]]]]
[[正倉院]]には多数のとんぼ玉とともに製法を記した書物や原料も収蔵されており、[[奈良時代]]には製法が伝えられ、国内で生産されていたと考えられている。
 
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江戸時代に、[[南蛮貿易]]を通じて[[中国]]のガラス技術と[[ヨーロッパ]]のガラス技術が伝えられ、[[長崎市|長崎]]などで安価なとんぼ玉が多数作られるようになった。
[[File:National Museum of Ethnology, Osaka - Necklaces.jpg|thumb|200px|right|[[国立民族学博物館]] 「首かざりとアイヌ玉」]]
 
その結果、長崎の技法が[[江戸]]で発展したもの(江戸とんぼ玉)、[[アイヌ民族]]との[[山丹貿易]]用に作られたもの(アイヌ玉<ref>[http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20151214011190001.html アイヌ民族とトンボ玉(下) 越田賢一郎 - 北海道 - 朝日新聞デジタル2015年12月14日]</ref>)、奈良時代からの製法で作られたもの(泉州玉、さかとんぼ<ref>[http://brand.sen-shu.com/izumi-tombodama/ 泉州ブランドホームページ 伝統工芸品「和泉蜻蛉玉」を制作する唯一の専門店「山月工房」]</ref>)が庶民の手に渡るようになり、[[根付け]]や[[かんざし]]、[[帯留]]などの装飾品に使用された。