「薬師丸ひろ子」の版間の差分

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=== 角川映画(1978年2月 - 1985年3月) ===
==== スクリーン・デビュー ====
偶然、薬師丸の写真を撮った人が、本人には内緒で[[角川映画]]『[[野性の証明#映画|野性の証明]]』長井頼子役オーディション(1977年12月 - 1978年2月)に応募していた。頼子役の8歳という設定に対し薬師丸は既に13歳、想定される身長よりも高かった。さらそれ加えて、演技経験もなかったので、必ず落選すると本人は信じていた{{refnest|2次審査通過後、角川事務所に呼ばれた際に、今回のオーディションは年齢が障害となって不合格だが、今後芸能活動する気持ちはないかと角川春樹社長から尋ねられる{{sfn |武藤|1993| p=244}}。芸能界入りを望んでいなかった薬師丸は、落選する保証を社長から貰ったと思い込み最終審査に臨んだ{{sfn |武藤|1993| p=244}}。|group = 注}}。しかし、条件に合致した候補者と接戦になったものの、薬師丸の将来性を見抜いた審査員の[[角川春樹]]が強く推したことで優勝してしまう<ref group="注">角川以外にも薬師丸を強く推したと言う人が多く、誰の話が真実なのか本人にも分からない。</ref>{{Refnest|group="注"|角川春樹は、[[つかこうへい]]に対して、薬師丸に投票するように頼んだ<ref>{{Cite book |和書 |author=[[つかこうへい]] |title=つか版・男の冠婚葬祭入門 |year=1986 |publisher=角川文庫 |isbn=4-04-142223-X |page=143-145}}</ref>。}}。決め手となったのは、非常に印象的な目だったと角川は結果発表時に述べている<ref name="nb">{{Cite news2 | df=ja |title=NBonlineプレミアム : 【薬師丸ひろ子さん】「角川さんは本当に懐の大きい方でした」 |newspaper=[[日経ビジネス]] |date=2006-02-17 |url=http://business.nikkeibp.co.jp/free/tvwars/interview/20060217005343.shtml |accessdate=2014-07-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060708003723/http://business.nikkeibp.co.jp/free/tvwars/interview/20060217005343.shtml |archivedate=2006-07-08 |url-status=dead |publication-date= }}</ref><ref group="注">オーディションの内容の一部が『ひろ子 青春のメモワール』に音声として残っている。オーディションでは[[岩崎宏美]]の「[[思秋期]]」を歌った。</ref>。審査員の[[つかこうへい]]から[[ピンク・レディー]]を歌ってとのリクエストがあったが、女優になりたいとも思っていなかった薬師丸は素っ気無く断った<ref name="kadokawa2020"> 角川春樹「[https://digital.asahi.com/articles/DA3S14655695.html (語る 人生の贈りもの)角川春樹:9 薬師丸ひろ子の「嫌だ」気に入った]」『朝日新聞』2020年10月13日付朝刊、第13版、第35面。</ref>。しかし、角川はその気の強さも気に入った<ref name="kadokawa2020" />。『野性の証明』(1978年)は角川映画として初めて邦画年間興行ランキング1位になった映画であると同時に、映画史には「薬師丸ひろ子のデビュー作」として記録されている{{sfn |中川|2014|p=94 }}<ref>{{Cite news2 | df=ja |title=40周年記念映画祭開催!角川映画はいかにして昭和後期の日本映画界を改革していったか?(前編) |newspaper=シネマズ |date=2016-07-23 |url=http://cinema.ne.jp/recommend/kadokawa2016072311/ |accessdate=2016-08-12 |publisher=松竹 |quote=本作は主演・高倉健の娘役をオーディションし、今もトップ・スターとして活躍中の薬師丸ひろ子を発掘したことが最大の成果ともいえるでしょう。}}</ref>。
 
薬師丸は引退も考えていたが、[[角川春樹事務所 (1976年 - 1993年)|角川春樹事務所]]は[[TBSテレビ|TBS]]系の単発ドラマ『[[装いの街]]』(1979年)や[[実相寺昭雄]]が監督した[[資生堂]]のコマーシャル「色」、雑誌『[[バラエティ (日本の雑誌)|バラエティ]]』での写真モデルの仕事を入れることで薬師丸の芸能界から引退するという選択肢を奪った{{sfn |中川|2014| p=95}}。その一方で、角川社長や側近の人たちは、本当に〔俳優の仕事が〕嫌になったら辞めさせてあげると薬師丸の気持ちを尊重してもいた{{sfn |武藤|1993| p=248}}。1979年1月4日に1回限り放送されたロングCM「色」は [[カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル|カンヌ国際広告祭]]で金賞を受賞した{{sfn |フラッシュバック|1983| pp=76-77}}<ref>{{Cite news2 | df=ja |title=日本のテレビCM史の流れを変えた異才 - 今村昭物語(12) |newspaper=[[電通]]報 |date=2016-11-13 |url=http://dentsu-ho.com/articles/4667 |accessdate=2016-11-13 |quote=電通映画社の喜多村寿信プロデューサーが、凄い子がいるぞ!と飛んできた。当時、角川映画「野性の証明」を撮影中であった、薬師丸ひろ子である。14歳。}}</ref>。翌1980年1月3日に放送された[[東陽一]]監督の資生堂ロングCM「口紅-あこがれ」にも出演する{{sfn |フラッシュバック|1983| pp=79-82}}。