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{{出典の明記|date=2008年4月|ソートキー=人1384年没}}
'''観阿弥'''(かんあみ/かんなみ 觀阿彌陀仏 [[正慶]]2年/[[元弘]]3年([[1333年]]) - [[至徳 (日本)|至徳]]元年/[[元中]]元年[[5月19日 (旧暦)|5月19日]]([[1384年]][[6月8日]]))は日本の[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]から[[室町時代]]にかけての[[楽]]師。息子の[[世阿弥]]とともに、いわゆる[[能]]を大成した人物である。名は清次。[[時宗]]の法名(時宗の男の法名([[戒名]])は[[阿弥陀如来|阿弥陀仏]](阿彌陀佛)号。ちなみに観は観世に由来)は観阿弥陀仏。その略称が観阿弥で、早くから観世大夫、あるいは観阿弥、観阿として記録に登場する。<!--服部三郎清次となのったこともしられる。[[秦氏]]の末裔か?-->観世家の祖。観阿弥最後の舞台となった[[静岡市]][[葵区]]宮ヶ崎町の[[静岡浅間神社]]には、26世宗家[[観世清和]]による顕彰碑がある。
 
== 略歴 ==