「由利島」の版間の差分
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| 緯度度 = 33|緯度分 = 51|緯度秒 = 8
| 経度度 = 132|経度分 = 31|経度秒 = 27
| 面積=0.61<ref name="
| 周囲=
| 標高=174<ref name="ehime-sita">愛媛県百科事典、p.662</ref><ref name="kadokawa1981">角川地名大辞典、p.674</ref>
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== 歴史 ==
松山市の[[遺跡]]([[埋蔵文化財包蔵地]])分布地図によると、島内には由利島遺跡([[弥生時代]]の[[遺物]]散布地)・由利島大谷遺跡([[中世]]の遺物散布地)・由利島長者屋敷遺跡(中世[[城館]])という3遺跡が登載されている<ref>[http://www.city.matsuyama.ehime.jp/kurashi/kurashi/jutaku/tatemono/maibun/n_houzouchi_ichiran.html 埋蔵文化財包蔵地図及び一覧表(中島地区)]松山市公式サイト</ref>。小由利島の由利島遺跡からは、弥生時代中期の[[弥生土器]]として[[壺]]・高坏(たかつき)が多数出土しており、[[1世紀]]ごろに島が[[東九州]]、[[安芸]]、[[周防]]の中継地として栄え、この頃から人が住んでいたものと思われる<ref name="
『風早郡地誌』には「由利島、東西十五町、周囲一里十町、樹木なく[[秣]](まぐさ)あり。間に田畑を見る、島民居成すもの僅かに二戸、男女皆農を業とす」の記載があり<ref name="kadokawa1981">角川地名大辞典、p.674</ref>、古くは採草地として利用されていた<ref name="ehime-sita">愛媛県百科事典、p.662</ref>。かつては由利千軒と呼ばれるくらい沢山の人家があったと伝えられているが、[[13世紀]]後半の[[弘安]]年間([[1278年]]-[[1288年]])に[[地震]]([[津波]]とする説もあり)により水没したといわれ、海中に井戸らしき石積みも散見されている<ref name="
付近の海域は古くから[[イワシ|鰯]]などの好漁場として知られ、[[高浜港]]と[[二神島]]との漁民の間で漁場をめぐる争いが絶えなかった<ref name="
次第に二神島から漁民が移り住むようになり、特に[[昭和]]初期には好漁が続き、夏の漁期には数百人が暮らし、全盛期には浜に10基を超す鰯網の窯場が設けられた<ref name="ehime-sita">愛媛県百科事典、p.662</ref><ref name="
以前は砂洲付近(通称明神)と北側の浜(砂浜)に集落があった<ref name="
== その他 ==
* かつて無人島にも関わらず[[委託公衆電話|赤電話]]が引かれ、船舶の避難用、出作の人や漁民などの連絡用として用いられていた。家屋型の[[電話ボックス]]もあり、[[椎名誠]]はこの島を訪ねた際に赤電話を使用したことなどをエッセイで紹介している<ref>椎名誠、pp.51-66</ref>。無人島時代にも年1、2回ほど使用料金の回収があり、2000~3000円ほどの公衆電話使用料があったという<ref>椎名誠、p.62</ref>。使用頻度が少ないために[[1986年]](昭和61年)には一度撤去されるものの「[[海底ケーブル]]が故障するまで」との約束で[[二神島]]の住民が費用を負担することで再設置、存続されたが[[ケーブル]]の切断により[[1993年]]([[平成]]5年)2月には不通となり、電話機も撤去された<ref name="
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* 「[[進ぬ!電波少年]]」の[[進ぬ!電波少年#電波少年的無人島脱出|無人島脱出企画]]の舞台である<ref>[https://style.nikkei.com/article/DGXMZO85951000R20C15A4000000?channel=DF280120166614&style=1 「徹子の部屋」収録見るには…テレビ業界の大疑問] NIKKEI STYLE 2015年5月18日 2018年4月2日閲覧</ref><ref>[https://vod.ntv.co.jp/program/denpa_syounen_R-mania/ 電波少年 Rマニア電波少年的無人島脱出&スワンの旅(3)] [[日テレオンデマンド]]{{Subscription required}} 2018年4月15日閲覧 <!--(3)の最後で脱出の舞台が由利島であったことが明言されています。--></ref>。当時島は無人であったが、島内の山中に作業小屋が存在し[[Rまにあ|Rマニア]]が寝泊まりに使用した<ref>[https://vod.ntv.co.jp/contentsViewer/?contentsId=459&mediaKindId=0 電波少年 Rマニア電波少年的無人島脱出&スワンの旅(1)] [[日テレオンデマンド]]{{Subscription required}} 2018年6月21日閲覧 </ref>。
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== 関連書籍 ==
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*『愛媛県百科事典・下』[[愛媛新聞社]]、1985年
* 椎名誠『あやしい探検隊不思議島へ行く』[[光文社]]、1985年
*『
== 参考文献 ==
* {{Citation |和書 |last=長嶋 |first=俊介 |title=困窮島制度ならびに同類似制度の比較考察--宇宇島・大水無瀬島・小手島・由利島と類似制度 |periodical=島嶼研究 |issn=1884-7013 |publisher=日本島嶼学会 |year=2000 |pages= 15-34 |url=http://ci.nii.ac.jp/naid/130001775061/ }}
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