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『クルアーン』の初期の啓示は、それ以前から行われていた偶像崇拝・聖石崇拝における砂漠の巫者特有のお告げの表現形式を借りて行われた。その当時の巫者は最も下等な偶像崇拝である聖石崇拝に直属していた。ムハンマドの場合、神がかりというのは、神による預言者への憑依という形式で行われることが多かったので、側から見ると偶像崇拝や聖石崇拝と大して変わりがなかったと言える。そのため、一神教を掲げるムハンマドは聖石崇拝者と同類に見られることを嫌ったとされる。<ref>『コーラン下』井筒俊彦 岩波書店 1958年 P318 </ref>
 
メディナ時代に入ると、神の啓示は、旧約聖書にそった散文」という表現形式を借りて行われた。偶像崇拝者を敵とみなしてはいるが、宗教の対象物と信仰形式はカアバ神殿で行われていた聖石信仰をコピーしただけのものと言っても良いようである。そのため、ムハンマドの宗教は、クライシュ族の一部の信仰を拡張したものである、とする見解もある。<ref>『ムハンマド』カレン・アームストロング著徳永理沙訳 2016年国書刊行会 P44</ref>また、当時のアラブの偶像崇拝の伝説をイスラームの土台に据えることによって、唯一神啓示宗教と神がかり啓示宗教との融合が図られたとする見解もある。<ref>『コーラン 1』藤本勝次 伴康哉 池田修 中央公論新社 2002年 P252 注28 注29 注32</ref>
 
===== ムスハフの啓示は、神がかり啓示宗教から、ムハンマドの政治思想に転化したとする見解 =====