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|pinyin = Mănzhōulĭ
|katakana = マンヂョウリー
|mongolian = {{mongol|ᠮᠠᠨᠵᠤᠤᠷ<br>ᠬᠣᠲᠠ}}
|mongolian_cyrillic = Манжуур хот
|mongolian_roma = Manjuur qota
|class = 県級市
|subdivision_type = 国家
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}}
[[File:Г.Маньчжурия (Китай).JPG|thumb|250px|満州里市の市街地]]
'''満州里市'''(まんしゅうり-し
== 地理 ==
内モンゴル自治区東部フルンボイル[[地級市]]西部にあり、東西と南は[[新バルグ左旗]]・[[新バルグ右旗]]に隣接。北は[[ロシア]]と54キロメートルの国境線で接し、[[ザバイカリエ地方]]の町[[ザバイカリスク]]が隣接している。市の東には[[アルグン川]]の中州・
フルンボイル草原にある
{{Weather box
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== 歴史 ==
この地方は北方遊牧民族を育んだ場所で、相次いで[[東胡]]、[[匈奴]]、[[鮮卑]]、[[契丹]]、[[女真]]、[[蒙古]]などの民族の領地となった。[[清]]朝[[雍正]]年間にロシアとの国境を画定してから官鎮守、戍守辺疆を設けた。当初はモンゴル語で「勢いの盛んな泉」を意味する
*[[1901年]]:[[1896年]]の[[露清同盟密約]](中俄密約)を根拠に、[[シベリア鉄道]]と接続する[[東清鉄道]]が建設され、清国側の最初の駅が'''[[満州里駅]]'''('''{{lang|ru|Маньчжурия}}''', Manchzhuriya:ロシア語で「[[満洲]]」 Manchuria を意味する)と命名された。これが満洲里の地名の起源である。その後人口の増加に随って都市の原形が出来上がった。
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満洲里は中国最大の陸運交易都市であり<ref>{{Cite web |date=2018-09-07 |url=http://japanese.china.org.cn/life/2018-09/07/content_62765505.htm |title=満州里 中露貿易のアップグレードを経験 |publisher=[[中国網]] |accessdate=2019-11-03}}</ref>、ロシア、[[東ヨーロッパ|東欧]]と中国の間の輸出入の60パーセントを担う。鉄道による年間載せ替え能力は500万トンに達する。[[2004年]]には貨物置場が拡張された。この年の満洲里の輸出入貨物は1400万トンに達した。[[2013年]]に[[一帯一路]]構想の後押しで北回りの「[[中欧班列]]」として国際定期貨物列車が運行開始して[[2019年]]時点で本数は5000本に達した<ref>{{Cite web |date=2019-09-29 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3246662 |title=満洲里駅経由の「中欧班列」が5000本に 内モンゴル自治区 |publisher=[[AFPBB]] |accessdate=2019-11-03}}</ref>。満洲里市には辺境経済技術合作区(輸入資源加工場区)、中俄互市貿易区(対ロシア輸出加工区)の2つの国家級開発区とジャライノール(扎賚諾爾)重化工業基地がある。
[[ジャライノール炭鉱]]は1902年に発見された[[炭田]]で、2009年まで[[石炭]]の[[露天掘り]]が行われていた。[[露清密約]]により[[ロシア]]が行政を行なっていたものを1932年に日本が[[ソ連]]から[[東清鉄道]]と共に買収し[[満州重工業|満洲炭鉱株式会社]]が経営していた。[[第二次世界大戦]]後は中国の所有となり、2006年より
== 交通 ==
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* 満州里套娃広場:高さ30mの[[マトリョーシカ人形]]のある広場。
* ジャライノール国家鉱山公園:[[ジャライノール炭鉱]]の露天掘り炭鉱跡地や鉱山博物館、歴史遺構など<ref>扎賚諾爾国家鉱山公園[http://www.nmg.xinhuanet.com/nmgwq/mzl/lyzx/2012-05/11/c_111932077.htm]</ref>。2008年開業。
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== 姉妹都市 ==
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