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'''アントワーヌ=フィリップ・ド・ラ・トレモイユ'''('''Antoine-Philippe de La Trémoïlle''', [[1765年]][[9月27日]] - [[1794年]][[1月27日]])は、[[フランス革命]]期の人物。トゥアール公[[ジャン・ブルターニュ・シャルル・ド・ラ・トレモイユ]]の次男、タルモン公。[[ヴァンデの反乱]]に参加した[[カトリック王党軍|ヴァンデ軍]]騎兵隊長。
 
ヴァンデ軍が[[ショレ]]で敗れ後退する中、彼はあくまでイギリス軍に頼ろうとする。しかし、結局イギリス軍の支援は得られなかった。また、後退戦において[[ロワール川]]渡河に失敗してヴァンデ軍に大損害を出す。その責任を追及されたが、あくまで自分に責任はないと主張した。その後司令官に任命されなかったことを不服としてヴァンデ軍を去ったが、政府軍に逮捕・処刑された。