「笑福亭松鶴 (5代目)」の版間の差分

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*[[笑福亭小つる]]※[[イラストレーター]]・[[エッセイスト]]の[[和多田勝]](5代目の孫【娘の子】で、6代目松鶴の甥)の少年時代の芸名。
*[[笑福亭松枝]](素人時代に4代目米團治等から稽古を受けていたが5代目松鶴の門下で松枝を名乗った。後に廃業し上京した。本名は永田(名は不明))
*[[笑福亭松朝]]([[1920年]][[11月12日]]生まれ、[[1940年]]2月に芸名なしで4代目米團治に入門し復員後[[1948年]]11月に65代目松鶴の門下で松朝を名乗った。6代目松鶴、3代目米朝、3代目春團治、5代目文枝らと若手勉強会「さえずり会」を結成、その後家業を継ぐために廃業した。[[桂文我 (4代目)|4代目桂文我]]による聞き書き本「笑福亭松朝の上方演芸百年噺」(2019年、燃焼社)がある。2018年末、98歳で死去。本名は阪本俊夫)<ref name="毎日">[http://mainichi.jp/select/news/20151002k0000e040248000c.html 松竹座:戦前の寄席内部手に取るように 見取り図見つかる] 毎日新聞 2015年10月2日閲覧 {{リンク切れ|date=2015年12月}}</ref><ref name="毎日2">[http://mainichi.jp/articles/20160202/ddn/010/200/061000c 上方に四天王の功績あり] 毎日新聞 2016年2月2日閲覧 </ref>
*[[桂文枝 (5代目)|5代目桂文枝]]([[三友派#浪花新生三友派|浪花新生三友派]]分裂騒動の際、戎橋松竹で修業を熱望したために預かり弟子になる)