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→‎来歴: 名古屋大学時代の小節を2つに分離し、全体的に記述を整理。→‎人物・逸話: 節名を変更し、小節の再編・追加、整理。→‎主な社会的活動: NPO理事長などについて追記。
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[[東京大学大学院工学系研究科]]産業機械工学専攻に進学し{{R|アドバイザー}}、耐震や[[原子炉]]の安全を研究していた[[柴田碧]]の研究室に所属する{{R|鈴木2007}}{{Sfn|新菱|2012|p=3}}。柴田からは研究テーマを与えられず自分で調査検討することになったが、それによって研究者として鍛えられたと述懐している{{Sfn|園田・黒田|2019|p=424}}{{Sfn|新菱|2012|p=3}}。学会で企業の人と話し合っているうちに浮かんだアイデアを発展させ、後の博士論文の元になったという{{Sfn|新菱|2012}}。
 
1973年3月に修士課程を修了し{{R|アドバイザー}}、博士後期課程に進学{{Sfn|福田・黒田|2019|p=434}}。1973年6月から[[アメリカ合衆国]]の[[イェール大学]][[大学院]]へ留学{{R|アドバイザー}}。ナレンドラ教授のもとで{{仮リンク|適応制御|en|Adaptive control}}に関する研究に取り組むとともに{{Sfn|福田|2005|p=138}}、アメリカと日本の講義の違いを実感したという{{Sfn|園田・黒田|2019|p=424}}。柴田から日本とアメリカのどちらで就職するか問われ{{Sfn|園田・黒田|2019|p=425}}、1975年6月に帰国{{R|アドバイザー}}。柴田が申請していた奨学金を帰国前に送ってくれたため、福田は帰国前の2か月間に[[ヨーロッパ]]を巡っている{{Sfn|園田・黒田|2019|p=425}}。なお、イェール大学には単位互換制度の1期生として留学していたが、2年間のうち1年は休学扱いになったという{{Sfn|園田・黒田|2019|p=425}}。
 
帰国後に[[ファジィ理論]]の輪講が始まり、柴田研究室出身の[[原文雄]]{{R|鈴木2007}}らも顧問として参加していた{{Sfn|福田|2005}}{{Sfn|福田|2009}}。さらに柴田碧研究室と[[東京工業大学]](東工大)の[[寺田敏郎]]研究室で相互開催された「あいまいシステム研究会」にも参加{{Sfn|福田|2005}}{{Sfn|福田|2009}}。研究会の内容は[[官能検査]]や法律問題にも及んだという{{Sfn|福田|2005}}。福田は寺野の人柄に触れるとともに、当時東工大飯野研究室に在籍していた[[廣田薫]]と交流を持つ{{Sfn|福田|2005}}。
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1987年には足を骨折し、入院したり[[松葉杖]]で歩いたりした{{Sfn|福田|2006|p=335}}。そんな折に[[香港]]の学会に出向くが、そこで[[原島文雄]]から国際会議のノウハウを学ぶ{{Sfn|福田|2006|p=335}}。さらに当時アメリカで流行していた研究{{Efn2|{{仮リンク|PUMA (ロボット)|label=PUMA|en|Programmable Universal Machine for Assembly}}、[[ミニコンピュータ|ミニコン]]、[[コンピュータビジョン]]が揃った研究{{Sfn|福田|2006|p=335}}や、マニピュレータ、移動ロボットの動作計画、ビジョンの3セッション{{Sfn|福田・三好|2015|p=875}}を挙げている。}}でなくても発表できる国際会議の開催を決意{{Sfn|福田|2006|p=335}}{{Sfn|福田・三好|2015|p=875}}。1988年に第1回目の国際会議IROSを東京理科大学で開催する{{Sfn|福田|2006|p=336}}{{Sfn|福田・三好|2015|p=876}}{{Sfn|園田・黒田|2019|p=425}}{{Efn2|name="IROS"|1988年の初回は「International Workshop on Intelligent Robots and Systems」として開催{{Sfn|福田|2006|p=336}}。後に「{{仮リンク|IROS|label=International Conference on Inteligent Robots and Systems|en|International Conference on Inteligent Robots and Systems}}」となるが{{R|浅田1997|梶田2004}}、略称はIROS{{R|梶田2004}}。日本語では「知能ロボットとシステムに関する国際会議」とされる{{R|浅田1997}}。}}。なお、初開催にあたっては[[ニューテクノロジー財団]]などから援助を受け{{Sfn|福田|2006|p=336}}、第1回目以降も[[東芝]]や[[日立製作所]]から支援を受けたという{{Sfn|福田・三好|2015|p=876}}。
 
=== 名古屋大学時代教授として ===
1989年4月に[[名古屋大学工学部]]機械工学第二学科[[教授]]に就任{{Sfn|福田|1990|p=91}}。1992年4月に工学部機械情報システム工学科教授、1994年6月に大学院工学研究科マイクロシステム工学専攻教授(学部は機械情報システム工学科)、1997年4月に先端技術共同センター教授、2005年に大学院工学研究科マイクロシステム工学専攻教授(機械理工学専攻併任)と変遷する{{R|アドバイザー}}。2010なお、199049月から20131995年3月の間に[[小菅一弘]]が助教授として着任{{R|robocre2018}}。小菅とは双腕マニピュレータで位置・力を直接では名古屋大学高等研究院の副院長も務めたなくコンプライアンスを制御する手法や{{SfnR|新井山野2000}}、タスクオリエンテッドな仮想ツールによる制御を開発した{{R|2015下野2006}}。
 
助教授として赴任した[[小菅一弘]]{{R|robocre2018}}とは双腕マニピュレータでは位置・力を直接ではなく、コンプライアンスを制御する手法を研究した{{R|山野2000}}。福田は1980年代後半から[[ソフトコンピューティング]]手法を取り入れた研究を行っており{{R|SI部門賞2005}}、ファジィ制御によるPID制御の保障{{R|趙1995}}や、[[遺伝的アルゴリズム]]による[[ファジィ推論|ファジィルール]]の自動生成{{R|野口1998}}などに取り組み、フレキシブルロボットアームには[[ニューラルネットワーク]]を適用して非線形システムへの有効性を示している{{R|山科2004}}。後にアザラシ型ロボット「[[パロ (ロボット) |パロ]]」を開発する[[柴田崇徳]]も教え子で{{R|小林2018}}、共著の解説では行動型ロボットにおけるファジィやニューロ制御の進化に遺伝的アルゴリズムが適しているとした{{R|渡辺1996}}{{Sfn|柴田・福田|1993}}。
 
[[File:Robot-army.png|thumb|200pt|写真は1[[インチ]]以下サイズの[[マイクロロボット]]。1991年からの国際マイクロメイズロボットコンテスト{{Efn2|name="コンテスト"}}には1cm<sup>3</sup>のロボットが登場する{{R|ムッシュ|メイズb}}が、[[石原秀則]]と製作した教材は24×25×24mmサイズ{{R|石原2003}}。]]
1991年10月に名古屋で開催されたマイクロマシン国際シンポジウムにおいて、福田は「山登りマイクロメカニズム国際コンテスト」を開催{{Sfn|福田|1993}}{{R|ムッシュ}}{{Efn2|name="コンテスト"|世界最小としてギネス認定された[[エプソン]]社のロボット「ムッシュ」が出場した大会と知られる{{R|ITmedia2003|PCWatch2003}}。なお、1991年10月の「山登りマイクロメカニズム国際コンテスト」に先立ち、1990年3月の精密工学会春季大会で「山登りマイクロメカニズム製作コンテスト」が開催されている{{R|林1990}}。[[東京工業大学]]の[[林輝]]が主導したもので、東工大の大学院の授業「精密機械システム応用」で実施していたものが元になっていた{{R|林1990}}。林が委員長を務めるマイクロメカニズム研究専門委員会により精密工学会の春季大会で「小さな<sup>3</sup>ロボットのコンテスト」として継続開催され、2003年からは[[堀江三喜男]]が委員長を務める同学会のマイクロ/ナノシステム研究専門委員会が企画を担当した{{R|MMC主旨}}。さらに2007年からは「国際マイクロメカニズムコンテスト」としてリニューアルされている{{R|MMC主旨|日高2008}}。}}。翌年の1992年にも「国際マイクロロボットメイズコンテスト」として開催し{{Sfn|福田|1993}}、以後毎年開催される{{R|メイズb|メイズd|メイズe}}。福田は実行委員長を務め{{R|メイズc}}、ロボット教室にも取り組んだ{{R|石原2003|森山2007}}。福田はコンテストの自由に発想できる意義を説くとともに、「最後に必ずレポートを英文で書かせることが重要」と指摘する{{R|森山2007}}。また、国際ロボフェスタ協会では理事を務め{{R|ロボフェスタ}}、[[日本ロボット学会]]のロボット教育研究専門委員会でも委員に入っていた{{R|RE2011}}。
 
1992年には人とロボットのインタラクションを扱う国際会議「RO-MAN」を開催し{{Sfn|福田・三好|2015|p=}}、1993年にはイタリアの{{仮リンク|サンターナ大学院大学|it|Scuola superiore di studi universitari e di perfezionamento Sant'Anna}}(Scuola Superiore S.Anna)の客員教授を務める{{R|アドバイザー}}。[[新菱冷熱工業]]とは風量検査ロボットの共同開発を行っており、ビジョンベースドな位置決めは海外でも評価されたと述懐している{{Sfn|新菱|2012|p=}}。また、[[石川島播磨重工]]とは小菅一弘とともに油圧式の{{仮リンク|パラレルメカニズム|en|Parallel manipulator}}の共同研究を行い{{R|小菅1993|小菅1996}}{{Sfn|福田・三好|2015|p=876}}、[[三菱重工業]]とは位置検出器「Inductosyn」の改良に取り組んだ{{R|溝口2000}}。ブラキエーションロボットは全身12自由度のBrachiatorIIIに発展し{{Sfn|ブラキエーション形移動ロボット|}}、[[ディスカバリーチャンネル]]でも放映された{{Sfn|福田|2006|p=334}}。
 
=== 名古屋大学時代における要職の歴任 ===
[[File:Optical Trap Ray Optics Explanation.jpg|thumb|200pt|[[レーザー]]により微粒子を制御する[[光ピンセット]]。福田と[[新井史人]]らはレーザートラップ力を計測して操作反力を返すバイラテラル制御系を構築した{{R|RSJ論文賞}}。]]
2000年には福田の研究グループの成果をもとにした編著『インテリジェントシステム』が刊行され{{Sfn|安田|2001}}、2003年には著書『鉄腕アトムのロボット学』が発刊{{Sfn|椎塚|2003}}。2002年には[[アレクサンダー・フォン・フンボルト財団]]より[[フンボルト賞]]を授与され{{R|高等研究院}}、2003年度は「フンボルト財団研究賞教授」として活動した{{R|高等研究院}}。2003年には著書『鉄腕アトムのロボット学』が発刊{{Sfn|椎塚|2003}}。計測自動制御学会に新しい部門制が敷かれた際には、システムインテグレーション部門の部門長を務めた{{R|川路2005}}。ブラキエーションロボットは全身12自由度のBrachiatorIIIに発展し{{Sfn|ブラキエーション形移動ロボット|}}、[[ディスカバリーチャンネル]]でも放映された{{Sfn|福田|2006|p=334}}。2002年には名古屋大学、[[東北大学]]、[[産業技術総合研究所]]、[[三井造船]]が連携する[[科学技術振興機構|JST]]プロジェクト 「環境適応型高性能対人地雷探知システムの研究開発」で研究代表を担当する{{R|地雷探査}}。
 
[[計測自動制御学会]]に新しい部門制が敷かれた際はシステムインテグレーション部門の部門長を務め{{R|川路2005}}、2003年から2年間は[[廣田薫]]の後を受けて日本知能情報ファジィ学会の会長に就任した{{Sfn|福田|2009}}{{R|福田前会長}}。2002年には名古屋大学、[[東北大学]]、[[産業技術総合研究所]]、[[三井造船]]が連携する[[科学技術振興機構|JST]]プロジェクト 「環境適応型高性能対人地雷探知システムの研究開発」で研究代表を担当する{{R|地雷探査}}。
2003年に採択された名古屋大学の[[21世紀COEプログラム]]「情報社会を担うマイクロナノメカトロニクス」では、当初サブリーダーを務め、途中から拠点リーダーを担当{{R|21世紀COEa|21世紀COEb}}。テーラーメイド超精密手術シミュレータ 「EVE」を開発し{{Sfn|新井|2015}}{{R|福田2006|GD2006}}、2005年には大学発ベンチャーとして{{R|21世紀COEb}}{{Sfn|新井|2015}}ファイン・バイオメディアル有限会社が設立されている(代表は博士後期課程に在学していた池田誠一{{R|会社概要|池田博論|21世紀COEb}})。「EVE」は2006年の[[愛・地球博]]のプロトタイプロボット展にも出展された{{R|福田2006}}。
 
また、2005-2009一方で2002度の[[科学研究費助成事業|科研費梅崎太造]]らと[[特定領域研究「非営利活動法人]]ヒュールチスケンウェア・ネットワル操作によるシステム細胞工学」では領域代表ク推進機構務め、A評価(研究領域の定目的に照ら十分な成果があった)を得る理事長に就任{{R|領域研究NPO内閣府|NPO組織概要}}。さらに2008また、2003に採択されたマイクロ・ナノシステム工名古屋大専攻が推進する[[グローバル21世紀COEプログラム]]「情報社会を担うマイクロナノメカトロニクス教育研究拠点」では当初サブリーダーを務め、途中からは拠点リーダーを担当し、同プする{{R|21世紀COEa|21世紀COEb}}。2005年に名古屋大学大学院工学研究科マイクグラシステは「設定された目的は概ね達成された」という事後評価を得ている工学専攻教授(機械理工学専攻併任){{R|GCOE事後評価アドバイザー}}。
 
2003年に採択された名古屋大学の[[21世紀COEプログラム]]「情報社会を担うマイクロナノメカトロニクス」では、当初サブリーダーを務め、途中から拠点リーダーを担当{{R|21世紀COEa|21世紀COEb}}。テーラーメイド超精密手術シミュレータ 「EVE」を開発し{{Sfn|新井|2015}}{{R|福田2006|GD2006}}2005年には大学発ベンチャーとして{{R|21世紀COEb}}{{Sfn|新井|2015}}ファイン・バイオメディアル有限会社が設立されている(代表は博士後期課程に在学していた池田誠一{{R|会社概要|池田博論|21世紀COEb}})。「EVE」は2006年の[[愛・地球博]]のプロトタイプロボット展にも出展された{{R|福田2006}}。
 
また、2005-2009年度の[[科学研究費助成事業|科研費]]特定領域研究「マルチスケール操作によるシステム細胞工学」では領域代表を務め、A評価(研究領域の設定目的に照らして、十分な成果があった)を得る{{R|領域研究}}。さらに2008年度に採択されたマイクロ・ナノシステム工学専攻が推進する[[グローバルCOEプログラム]]「マイクロ・ナノメカトロニクス教育研究拠点」では拠点リーダーを担当し、同プログラムは「設定された目的は概ね達成された」という事後評価を得ている{{R|GCOE事後評価}}。2010年4月から2013年3月までは名古屋大学高等研究院の副院長も務めた{{Sfn|新井|2015}}。
 
=== 名城大学時代 ===
2013年3月で[[名古屋大学]]を定年退職し、4月には[[名誉教授]]に就任{{Sfn|新井|2015}}。同年4月には[[名城大学]]理工学部メカトロニクス工学科教授に学科創設と同時に就任{{R|祝賀会2016}}{{Sfn|名城大学|2017}}。また、[[北京理工大学]]でも教授を務める{{R|JSPS2018}}{{Sfn|小寺|2019}}([[千人計画]]特別招聘教授{{R|千人計画2014|アーカイブ2020}})。2014年には[[日本機械学会]]のロボティクス・メカトロニクス部門の欧文誌として『ROBOMEC Jounarl』を創刊し、編集委員長を務める{{R|ROBOMECHJ}}。2015年には「ロボット工学研究功績」により[[褒章#紫綬褒章|紫綬褒章]]を受章し{{Sfn|新井|2015}}、2016年1月に[[ホテルナゴヤキャッスル]]で祝賀会が催された{{R|祝賀会2016}}。2015年時点で名古屋大学福田研究室で[[博士|博士号]]を取得した学生は94名に及び{{Sfn|新井|2015}}、2018年には101人に達している{{Sfn|辻|2018}}。
 
2018年にはIEEEの会長選挙に、理事会推薦ではなく会員から署名を集めて立候補{{Sfn|辻|2018}}{{Sfn|福田|2018}}。福田は会員数の増加、会費見直し、財政の透明化改善などを掲げ、インターネット投票で2位に5千票以上の差をつけてトップとなり、次期会長に選出される{{Sfn|辻|2018}}。この時、[[小菅一弘]]も副会長の一人に選出された{{Sfn|辻|2018}}。2020年にはIEEEでアジア人で初めての会長職に就任{{R|朝日2020}}(任期は1年{{Sfn|辻|2018}})。また、同年8月には[[科学技術担当大臣]]の[[竹本直一]]と対談している{{R|鎌倉2020}}。
 
2021年1月にはU-18障害者も楽しめるe-sports協会「edge」の会長に就任{{R|U-18会長}}。2021年現在、[[早稲田大学]]の[[特任教授]]{{R|60周年}}や名古屋大学未来社会創造機構ナノライフシステム研究所の[[客員教授]]{{R|名大研究所}}にも就任。[[科学技術振興機構]]の[[ムーンショット型研究開発制度]]では目標3「2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現」では構想ディレクターを務める{{R|JST2021}}。
 
== 人物・逸話 ==
=== 家族からの影響 ===
妻からは「''リターンなんてそういうケチなことを考えちゃいけない''」「''人が困っていたらやりなさい、ボランティアでやりなさい''」と言われたという{{Sfn|新菱|2012|p=2}}。父親からの「実るほど頭が下がる稲穂かな」という言葉が忘れられないといい{{Sfn|園田・黒田|2019|p=426}}、「''この姿勢でいると、自然と「ヒューマンネットワーク」も築かれる。夢中になればいつの間にか周りに人がいる。人がいるから、つながるからこそ必ず面白い何かが起こる。''」と語っている{{Sfn|園田・黒田|2019|p=426}}。
 
== 人物 ==
=== 国際的な学会活動 ===
「アクティブな人」として知られ{{R|藪田1993}}、[[名古屋大学]]で総長を務めた[[濵口道成]]37からは、世界を飛び回るため大学より[[仁川国際空港]]で会う方が多いと言われている{{Sfn|辻|2018}}。3738歳の時に[[原島文雄]]と設立した{{仮リンク|IROS|label=IROS|en|International Conference on Intelligent Robots and Systems}}{{R|IROS2006}}{{Sfn|新菱|2012}}{{Sfn|園田・黒田|2019|p=425}}を{{仮リンク|ICRA (国際会議)|label=ICRA|en|International Conference on Robotics and Automation}}と並ぶ[[ロボティクス]]のトップカンファレンスに育て上げた{{R|梶田1998}}。ヒューマンリレーションシップ{{Sfn|新菱|2012}}やヒューマンネットワーク{{Sfn|園田・黒田|2019}}を唱え、IROS設立にあたっては[[富山の薬売り]]を参考に「信用を得るには自分が動かなくちゃいけない」という精神で取り組んだという{{Sfn|新菱|2012|p=1}}。
 
外国人からは「トシ」や「トーシオ」と呼ばれるといい{{Sfn|新菱|2012|p=2}}、世界中の乾杯の音頭を知っていると語っている{{Sfn|新菱|2012|p=2}}。日本では外国の研究者を[[銭湯]]に連れて行ったり、自宅に招いて狭いながらもパーティで応対していた{{Sfn|新菱|2012|p=2}}。寿司と妻による簡単な料理程度の飲み会で、後片付けの皿洗いは福田自身でやっていたという{{Sfn|新菱|2012|p=2}}。福田は「''逆に相手から呼ばれれば時間がある限り行きます。そしてリターンを求めない。短い時間しかいられなくてもできる限り自分が行く。そこに「自分がいる」ということが重要''」と説く{{Sfn|新菱|2012|p=2}}。
 
[[名古屋大学]]で総長を務めた[[濵口道成]]からは、世界を飛び回るために大学より[[仁川国際空港]]で会う方が多いと言われ{{Sfn|辻|2018}}、栢森情報科学振興財団の理事長は、福田から「私の住所は飛行機の中」と言われたいう{{R|祝賀会2016}}。また、[[生田幸士]]によると福田は元気のない若手に学会の仕事を与えて励ましていたといい{{R|祝賀会2016}}、[[豊田工業大学]]学長を務めた[[榊裕之]]は「非凡な意欲とエネルギー」で通常は難しい教育研究と学会運営を両立させていると評価している{{Sfn|辻|2018}}。
=== 教育と研究 ===
 
福田は「''研究の原動力は何かというと、人と会って「何か面白いことをやろう」と思う好奇心''」と語る{{Sfn|新菱|2012|p=2}}。夢中になると朝まで研究にのめりこむといい、教授になってからも学生と研究の話を朝までやっていた{{Sfn|園田・黒田|2019}}。学生からは変わった先生と言われることもあったが、名古屋大学では博士課程まで行くことを勧め{{Sfn|園田・黒田|2019}}{{Sfn|名城大学|2017}}、2018年の時点で101名に達した{{Sfn|辻|2018}}。講演ではロボットには[[セレンディピティ]]があって教材向きと語っている{{R|森山2007}}。[[豊田工業大学]]学長を務めた[[榊裕之]]は「非凡な意欲とエネルギー」で、通常は難しい教育研究と学会運営を両立させていると評価した{{Sfn|辻|2018}}。
=== 教育研究と博士の育成 ===
福田は「''研究の原動力は何かというと、人と会って「何か面白いことをやろう」と思う好奇心''」と語る{{Sfn|新菱|2012|p=2}}。夢中になると朝まで研究にのめりこむといい、教授になってからも学生と研究の話を朝までやっていた{{Sfn|園田・黒田|2019}}。学生からは変わった先生と言われることもあったが、名古屋大学では博士課程まで行くことを勧め{{Sfn|園田・黒田|2019}}{{Sfn|名城大学|2017}}、2018年の時点で101名に達した{{Sfn|辻|2018}}。講演ではロボットには[[セレンディピティ]]があって教材向きと語っている{{R|森山2007}}。[[豊田工業大学]]学長を務めた[[榊裕之]]は「非凡な意欲とエネルギー」で、通常は難しい教育研究と学会運営を両立させていると評価した{{Sfn|辻|2018}}。
 
研究業績として、紫綬褒章受章の2015年時に論文は795件、国際会議の発表は1250件に及んだ{{Sfn|新井|2015}}。「動的再構成可能ロボットシステムに関する研究」という学会発表は100報を超え{{Sfn|福田・三好|2015|p=876}}{{R|111報}}、2000年に第111報に及んだ{{R|111報}}{{Efn2|同名の論文「動的再構成可能ロボットシステムに関する研究」が日本機械学会論文集C編にも投稿されており、1989年に「[https://doi.org/10.1299/kikaic.55.114 第1報, セル間の自動接近・結合・分離制御実験]」が{{R|第1報}}、1998年時点で「[https://doi.org/10.1299/kikaic.64.1793 第29報, 形態再構成に起因する群の振る舞いの解析]」が掲載されている{{R|第29報}}。}}。
 
研究業績として、紫綬褒章受章の2015年時に論文は795件、国際会議の発表は1250件に及んだ{{Sfn|新井|2015}}。「動的再構成可能ロボットシステムに関する研究」という学会発表は100報を超え{{Sfn|福田・三好|2015|p=876}}{{R|111報}}、2000年に第111報に及んだ{{R|111報}}{{Efn2|同名の論文「動的再構成可能ロボットシステムに関する研究」が日本機械学会論文集C編にも投稿されており、1989年に「[https://doi.org/10.1299/kikaic.55.114 第1報, セル間の自動接近・結合・分離制御実験]」が{{R|第1報}}、1998年時点で「[https://doi.org/10.1299/kikaic.64.1793 第29報, 形態再構成に起因する群の振る舞いの解析]」が掲載されている{{R|第29報}}。}}。福田はメンテナスロボットの開発時に同じ設計を何度も繰り返すことからモジュラーロボット、自己組織化ロボットの研究を開始{{Sfn|福田|2006|p=333}}。2003年にはその研究情勢について、「''現実の問題を理解し、ハードウェアの伴った良い理論的研究が少ない''」「''ハードウェア的に不可能な仮定の下に、いくら良い理論を作ってもしょうがありません''」と警鐘を鳴らしている{{R|福田2003}}。
 
== 主な社会的活動 ==
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(アカデミー)
* [[日本工学アカデミー]] - 会員{{R|EAJ正会員|EAJフォーラム}}
* [[日本学術会議]] - 第3部20期連携会員{{R|日本学術会議ac}}第21-22期第3部会員{{R|日本学術会議a|日本学術会議c}}、2008(2008-2014年{{Sfn|福田・三好|2015|p=877}})、連携会員(第20期、第23-24期連携会員{{R|日本学術会議b|日本学術会議c}}
* [[中国科学院]] - [[中国科学院外籍院士の一覧|外籍院士]]{{R|JSPS2018}}{{Sfn|小寺|2019}}
 
(その他)
* 国際マイクロロボットメイズコンテスト - 実行委員長(1992年 - ){{R|メイズa|メイズb|メイズc}}
* [[特定非営利活動法人]] 国際ロボフェスタ協会{{Efn2|ロボフェスタ協会は2021年で解散している{{R|ロボフェスタ解散}}。}} - 理事{{R|ロボフェスタ}}
* 特定非営利活動法人 ヒューマンウェア・ネットワーク推進機構 - 理事長(2002年 - ){{R|NPO理事長|NPO内閣府}}
* U-18 障害者でも楽しめる e-sports協会 - 会長(2021年 - ){{R|U-18会長}}
* ファイン・バイオメディカル有限会社 - 技術顧問{{R|会社概要}}
 
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<ref name="JST2021">“[https://www.jst.go.jp/moonshot/program/goal3/index.html ムーンショット目標3 2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現]”. ''ムーンショット型研究開発事業 プログラム紹介''. [[科学技術振興機構]]. 2021年10月12日(UTC)閲覧。</ref>
<ref name="MMC主旨">中里裕一. “[http://mn.jspe.or.jp/MMcontest/introduction.html マイクロメカニズムコンテストの主旨]”. [[精密工学会]]. 2021年10月12日(UTC)閲覧。</ref>
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<ref name="NPO組織概要">http://humanware.or.jp/organization/ 組織概要]”. ヒューマンウェア・ネットワーク推進機構. 2021年10月30日(UTC)閲覧。</ref>
<ref name="NPO内閣府">“[https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/detail/111000215 ヒューマンウェア・ネットワーク推進機構]”. ''[[NPOポータルサイト]]''. [[内閣府]]. (2020年11月10日) 2021年10月30日(UTC)閲覧。</ref>
<ref name="PCWatch2003">“[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2003/0310/epson.htm エプソン、Bluetoothを内蔵した超小型ロボットをROBODEXで公開 3月10日 発表]”. PC Watch. (2003年3月10日) 2021年10月16日(UTC)閲覧。</ref>
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<ref name="ロボフェスタ">{{Cite web|url=http://www.hoklead.co.jp/robofesta/sosikisyoukai.htm |title=組織の紹介 |work=NPO国際ロボフェスタ協会 |publisher=ホクリード株式会社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180102012728/http://www.hoklead.co.jp/robofesta/sosikisyoukai.htm |archivedate=2018年1月2日 |accessdate=2021年10月24日(UTC)}}</ref>
<ref name="ロボフェスタ解散">野口和彦 (2021年9月16日). “[http://hoklead.co.jp/robofesta/topics/finalmessage.pdf NPO法人国際ロボフェスタの解散のご挨拶]”. ''NPO法人国際ロボフェスタ協会''. ホクリード株式会社. 2021年10月3日(UTC)閲覧。</ref>
<ref name="渡辺1996">渡辺桂吾「[https://doi.org/10.11499/sicejl1962.35.11_863 ロボットのインテリジェント制御]」『計測と制御』第35巻第11号、1996年、863-868頁。</ref>
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