「渡辺泰邦」の版間の差分

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[[1930年]]、函館市で興民会を組織し、機関誌『興民』を発刊した<ref name=ha/>。同年2月、[[第17回衆議院議員総選挙]]で北海道第三区から出馬して当選し、[[立憲民政党]]に所属<ref name=gi/>。[[中野正剛]]に私淑した<ref name=ob>『人物覚書帳』565頁。</ref>。[[1932年]]12月、[[安達謙蔵]]が[[国民同盟 (日本)|国民同盟]]を結成すると渡辺も参加し常任幹事を務めた<ref name=ha/>。[[1934年]]、函館市民同盟を組織して盟主に就任<ref name=ha/>。[[1936年]]2月、[[第19回衆議院議員総選挙|第19回総選挙]]で再選された<ref name=gi/>。その後、中野正剛の結成した[[東方会]]に参加<ref name=ob/>。以後、[[第20回衆議院議員総選挙|第20回]]、[[第21回衆議院議員総選挙|第21回総選挙]]でも当選し、衆議院議員を通算四期務め、[[大政翼賛会]]中央協力会議員となった<ref name=gi/>。
 
戦後[[日本社会党]]に入党するも[[公職追放]]となり<ref>公職追放の該当事項は「推薦議員」。({{citation
| 和書
| title = 公職追放に関する覚書該当者名簿