「第二次日韓協約」の版間の差分

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青鬼よし (会話) による ID:86290465 の版を取り消し第二次日韓協約は保護国化条約なので保護国化についての簡単な説明はあって然るべき
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'''第二次日韓協約'''(だいにじにっかんきょうやく、{{kor|k=제2차 한일협약|hanja=第二次韓日協約}})は、[[日露戦争]]終結後の[[1905年]](明治38年)11月17日に[[日本|大日本帝国]]と[[大韓帝国]]が締結した[[協約]]。'''日韓保護条約'''とも言う。これにより大韓帝国の外交権は、ほぼ大日本帝国に接収されることとなり、事実上[[保護国]]となった。
 
なお保護国化というのは英国のエジプト保護国化、フランスのカンボジア保護国化などで分かる通り、他国の外交権などを奪うことを意味し、よい意味ではない<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1281154/71 矢内原忠雄「植民及植民政策]」では「保護条約」について「全然保護国の好意に出づるものではない」(119頁)とする。</ref>。よって現代では新規の保護国化は無い<ref>1993年にスペイン・フランス両国を保護国としていたアンドラが独立し、被保護国は姿を消した
 
[https://kotobank.jp/dictionary/nipponica/1350/ 日本大百科全書(ニッポニカ)「保護国」の解説]</ref>。
 
== 概要 ==