「二宮尊徳」の版間の差分

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=== 桜町時代 ===
* [[ナス]]を食べたところ、まだ夏の前なのに秋のナスの味がしたことから、その年は[[冷夏]]になることを予測。村人たちに指示して[[冷害]]に強い[[ヒエ]]を大量に植えさせた。尊徳が予測した通りその年は冷夏となり、[[天保の大飢饉]]が発生したが、桜町ではヒエの蓄えが十分にあったおかげで餓死者が出なかったばかりか、余分のヒエを周辺の村々にも分け与えることができたという<ref group="注釈">実際には冷害の数年前からヒエの作付を準備させていたことが分かっている。尊徳は飢饉に備えて一人当たり五俵(約300kg)ずつの割合でヒエを蓄えるよう村人たちに指示していたという。</ref>。
* [[開墾]]して間もない田畑は、既存の田畑と比べて[[租税]]負担が軽いことに注目し、新しい田畑の開墾を積極的に奨励した<ref group="注釈">当時の日本では、田畑の開墾を積極的に奨励するため、新しく開墾した田畑については一定期間(一般には3 - 5年程度)にわたって[[年貢]]を免除もしくは大幅に軽減する制度があった。この制度は俗に「[[鍬下年季|鍬下年季(くわしたねんき)]]」と呼ばれた。</ref>。
* 村人たちの開墾作業を見回っていた時、一人の男が他の村人の何倍も激しい勢いで仕事をしている様子を見て、「そのような勢いで一日中働き続けられるはずがない。お前は他人が見ている時だけ一生懸命に働く振りをして、陰では怠けているに違いない」と怒鳴り、村人たちの前で男の不正を厳しく叱ったという。
* その一方で、年老いて無力ながらも陰日向なく真面目に働き、他の村人たちがやろうとしない木の切り株を掘り起こす面倒な作業を毎日地道に続けてきた[[出稼ぎ]]の老人に対しては、開墾に邪魔な木の切り株を彼が全部取り除いてくれたおかげで他の村人たちの作業が容易になり開墾がはかどったという理由から、通常の賃金のほかに慰労金として15[[両]]もの大金を与えたという。