「矢野燿大」の版間の差分

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{{by|2021年}}
:「一軍監督としての過去2年間の成績(最高はセ・リーグ2位)を『超』えて『頂』(優勝)に『挑』む」というニュアンスで、「'''挑・超・頂-挑む 超える 頂(いただき)へ-'''」というチームスローガンを設定。ボーア、ガルシア、[[呂彦青]]に代わって[[メル・ロハス・ジュニア]]と[[ラウル・アルカンタラ]]が入団したほか、中日の投手時代に阪神打線を何度も苦しめた[[陳偉殷|チェン・ウェイン]]がロッテから移籍するなど、前年と同じく支配下登録選手に8人の外国人を擁する陣容でシーズンに備えた。春季キャンプでは、守備力の強化を図るべく、自身と同じチームへの所属や阪神への在籍経験がない[[川相昌弘]](巨人・中日OB)を臨時コーチに招聘。ただし、日本政府が新型コロナウイルスへの感染拡大防止策の一環で外国人の入国制限を課しているため、ロハスとアルカンタラの合流はレギュラーシーズンの開幕後(4月中旬)まで見送られた。
:オープン戦では、佐藤輝明が全12球団トップの6本塁打でドラフト制度導入後(1966年以降)の新人選手としての最多本塁打記録を樹立するなど打線が好調で、金本監督時代の2016年以来5年ぶりに単独1位で終了。レギュラーシーズンでも、ヤクルトとの開幕3連戦(神宮)で全勝したことを皮切りに、貯金(勝ち越し数)が就任後最多に達するほどの好調で首位を走っていた。4番打者には開幕から大山を固定していたが、大山が背中の張りを理由に戦線を離脱していた5月には、開幕から「6番・右翼手」としてのスタメン起用を続けていた佐藤輝明を大山の復帰まで「4番・三塁手」に抜擢。佐藤と同期入団の選手からは、社会人野球出身の[[中野拓夢]]が正遊撃手・[[伊藤将司]]が先発陣に定着している。さらに、一軍公式戦未経験の投手(西純矢、及川、新人の[[村上頌樹]]など)が、公式戦に相次いでデビュー。西は、5月19日<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202105190000774.html |title=阪神が9人の1、2軍入れ替え 1990年以降では最多 |publisher=日刊スポーツ |date=2021-05-19 |accessdate=2021-05-20}}</ref>の対ヤクルト戦に先発で初登板を果たすと、5回を無安打無得点に抑えたまま交代した末に初勝利を挙げた。セ・パ交流戦では中継ぎ陣が軒並み調子を落としたため、開幕投手を初めて務めた藤浪を中継ぎ要員へ再び回したものの、佐藤輝明がNPBの新人選手としては交流戦最多の6本塁打を記録。チームは[[和田豊]]監督時代の2014年以来7年ぶりに交流戦を勝ち越したばかりか、セ・リーグ首位の座を維持したまま、同リーグの球団としては最上位(全体2位)で交流戦を終えた。リーグ戦が再開されてからは打線が全般に低調で、最大で8ゲーム差を付けていた2位・巨人に1.5ゲーム差まで迫られながらも、自身が現役選手だった[[岡田彰布]]監督時代の2008年以来13年ぶりに首位で前半戦を折り返している
:[[2020東京オリンピック]]の開催に伴うレギュラーシーズンの中断期間には、外国人選手に対して(家族の暮らす母国への)一時帰国を認めたものの、マルテやスアレスの合流がシーズンの再開に間に合わなかった。中断期間からの再開後は、打撃の調子が下降線をたどり始めた佐藤やサンズに代わって、ウエスタン・リーグで打撃が好調の[[小野寺暖]](育成選手の出身で入団2年目にしてリーグ首位打者・最高出塁率のタイトルを獲得)や[[島田海吏]](リーグ盗塁王)を積極的に起用。ヤクルトと巨人を勝利数で上回っているにもかかわらず、引き分け試合数や勝率との兼ね合いで8月29日に首位から(ヤクルト・巨人より下の)3位へ転落したことを受けて、同月31日の対中日戦(甲子園)には「外国人選手だけのクリーンアップ(3番:マルテ、4番:サンズ、5番:ロハス・ジュニア)」という球団の公式戦史上初の打線で臨んだ。その一方で、9月にはヤクルト・巨人との間で順位が何度も入れ替わっていたにもかかわらず、NPBの12球団では最も早く球団のトップ(オーナー兼球団社長の[[藤原崇起]])から監督職の続投を要請されている。
:レギュラーシーズン終盤の9月からは、先発要員だったアルカンタラを救援陣に加えたほか、打撃不振の梅野に代わって坂本をスタメンに連日起用。その結果、チームは10月6日の対DeNA戦(横浜)に勝利したことによって、レギュラーシーズンを15試合残した段階でAクラス(3位以上)が確定した。2リーグ分立後(1950年以降)の阪神の一軍監督で、チームを就任1年目から3年連続のAクラス入りに導いた人物は矢野が初めてである<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202110060001061.html|title=阪神矢野監督、新人監督年から3年連続Aクラス、2リーグ分立後で球団初|publisher=日刊スポーツ |date=2021-10-06|accessdate=2021-10-07}}</ref>。同月8日の対ヤクルト戦(神宮)に敗れたことで(引き分け試合数と残り試合数の多い)ヤクルトにリーグ優勝マジックの点灯を許すも、26日のレギュラーシーズン最終戦(甲子園球場での対中日戦)で完封負けを喫するまでは優勝の可能性を残していた。シーズン全体ではリーグトップの77勝を挙げたほか、貯金も前年から3倍増の21にまで達していたが、結局は同日にシーズン2位とヤクルトの優勝が確定。もっとも、ヤクルトとの最終勝率の差は5厘(ゲーム差は0)で、セ・リーグではシーズンを通じて他の5球団に負け越さなかった(対広島戦のみ勝率5割で終了)。巨人に対しては、岡田監督時代の2007年以来14年振りのシーズン勝ち越しを果たしたばかりか、10月上旬に東京ドームの直接対決でリーグ3連覇を阻止。逆に、クライマックスシリーズのファーストステージ(甲子園)では、レギュラーシーズンの最終勝率が5割未満ながら3位で進出ているた巨人の前に日本シリーズ進出の可能性を断たれた
:先発陣では、左上腕のコンディション不良による影響でレギュラーシーズン終盤の9月上旬から一軍へ合流した高橋が、巨人相手の一軍公式戦初完封勝利を皮切りに、阪神の左投手としては1992年の[[湯舟敏郎]]以来29年振りの2試合連続完封勝利を記録した。また、スアレスは42セーブ(球団の外国人投手における一軍公式戦でのシーズン最多記録)で、前年に続いてリーグ最多セーブのタイトルを獲得。レギュラーシーズンの中断期間に開催された[[2020年東京オリンピックの野球競技]]で岩崎・梅野と共に[[2020年東京オリンピックの野球競技・日本代表|日本代表チーム]]のメンバーとして金メダルを獲得した青柳は、13勝で[[九里亜蓮]](広島)と並んでリーグ最多勝利、勝率.684で勝率1位のタイトルを単独で初めてつかんだ。また、秋山も2年連続で2桁勝利(10勝)をマーク。救援陣では、シーズンの中盤から不振の岩貞に代わって及川、終盤に[[小川一平]](及川・小野寺と同期入団の右投手)やアルカンタラもセットアッパーの岩崎につなぐ役割を果たした。攻撃面では、近本がシーズンの最終盤に左太腿を痛めた影響で全試合出場と入団1年目からの3年連続盗塁王を逃したものの、プロ入り後自身初の打率3割(.313)と2桁本塁打(10本)に到達。シーズン通算の安打数は両リーグトップの178本で、チームの日本人選手としては1993年の[[和田豊]]以来28年振りに最多安打のタイトルを獲得した。なお、前半戦では[[熊谷敬宥]]・[[植田海]]・小幡・江越といった代走陣による好走塁が得点に結び付くシーンも相次いでいたが、シーズンが佳境に入ってからはこのような走塁が全般に影を潜めた。さらに、チーム最年長選手(40歳)の糸井を主に代打で起用したものの、勝負所では代打陣の層の薄さを露呈。チームの総失策数は86で、4年続けてNPBの12球団で最も多かった。
:この年はいわゆる「新人の当たり年」で、球団史上初めて、新人選手から2名(中野と佐藤)がセ・リーグの最終規定打席に到達。NPBにドラフト制度が導入された1966年以降では初めて、「同一チームの新人選手2名が一軍公式戦で揃ってシーズン100安打」という記録も樹立した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202110240000914.html|title=阪神佐藤輝明&中野拓夢がドラフト制後史上初の新人100安打コンビ|publisher=日刊スポーツ |date=2021-10-24|accessdate=2021-10-27}}</ref>。さらに、中野はシーズン30盗塁でリーグ盗塁王のタイトルを獲得。盗塁の成功率は(パ・リーグを含めた)2リーグ分立後の盗塁王としては最も高い93.8%で、盗塁死を歴代最少の2に収める快挙も成し遂げた。佐藤はレギュラーシーズンの一軍公式戦通算で(日本プロ野球の公式戦における新人選手の歴代6位タイ記録に当たる)24本塁打を放ちながら、通算173三振で歴代の阪神選手におけるシーズン最多記録を更新。レギュラーシーズン再開後の8月下旬からは、矢野の判断による10日間の二軍調整(9月中旬)をはさんで、10月上旬まで(セ・リーグ公式戦最長記録および日本プロ野球公式戦最長タイ記録の)59打席連続無安打を喫するほどの不振に見舞われた。新人投手では、伊藤がほぼフルシーズンにわたって先発ローテーションの一角を任された末に、阪神の新人左投手としては1967年の[[江夏豊]]以来54年振りに一軍公式戦でのシーズン2桁勝利(10勝)を達成。村上もウエスタン・リーグで最多勝利(10勝)と防御率・勝率1位のタイトルを獲得したが、一軍公式戦での初勝利までには至らなかった。