「太政官」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 Androidアプリ編集
87行目:
:: (略)
 
三職のうち総裁が廃止されて(当時熾仁親王は[[江戸]]に滞在中)、副総裁2人が'''輔相(ほしょう)'''と称して事実上の政府首班に就いた。[[立法|立法権]]を司る'''[[議政官]]'''は、議定・参与からなる''上局''と諸藩の代表([[貢士]])からなる''下局''から構成された。[[行政権]]を司るのは、''行政・[[神祇官|神祇]]・会計・[[軍務官|軍務]]・外国''の各官(官庁)からなる'''五官'''であり、特に行政官は輔相を長として他の4官を監督する役割も担った。三権を担う官の内[[司法権]]を扱う'''司法官'''は、実際には4官同様、行政官の監督を受けていたため、[[司法権の独立]]は形骸化した。さらに、輔相は議定の資格で議政官(上局)の構成メンバーでもあったため、権力分立は形ばかりとなっていた。
 
[[戊辰戦争]]終了後の明治2年([[1869年]])に入ると、[[版籍奉還]]が実施されて、諸藩は政府の地方機関として位置付けられた。そこで、会計官から地方行政を扱う''民部官''が独立した。続いて政体書に基づく「官吏公選」が行われて守旧派の公家や諸侯は事実上排除される形となった。また、監察機関として[[弾正台]]が設置された。