「1993年マラウイ国民投票」の版間の差分

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== 概要 ==
マラウイでは1960年代半ばから[[ヘイスティングズ・カムズ・バンダ]]率いる[[マラウイ会議党]]による一党[[独裁]]の政治運営が行われており、他の党を結成することは法律で禁止されていた。バンダ大統領は1971年には"終身大統領"となり、対立した政治家や市民運動家の投獄や暗殺を行っていたことが明らかとなっている<ref>[httphttps://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/DownloadReports/ReportInterimReport/pdf/2003_04_15_04.pdf IDE-JETRO アフリカ諸国の「民主化」再考 -共同研究会中間報告]</ref>。
 
しかし、[[南アフリカ共和国]]大統領であった[[フレデリック・ウィレム・デクラーク]]が1991年に[[アパルトヘイト]]を法的に廃止したことを受けて、独裁政治に対する国内外からの批判が高まってきたため、1993年に[[一党制]]の維持か多党制の導入かをめぐって国民投票で是非を問うことが決定された。投票は1993年の6月14日に無事行われ、有権者のおよそ3分の2が多党制導入に賛成したため、マラウイでは翌年の1994年から多党制が導入されることが決定された<ref>[http://africanelections.tripod.com/mw.html#1993_Referendum AFRICAN ELECTIONS DATABASE 14 June 1993 Referendum]</ref>。