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== 概要 ==
斎王は卜定の後に「やや神に近づく」ために世俗からの隔離措置が取られ、最初の一定期間を宮城内に設けられた[[初斎院]]([[伊勢神宮]][[斎宮]]は1年間、[[賀茂神社]]の[[斎院]]は3年間)にて潔斎を行い、その後に野宮に遷って潔斎を続けた他、各種の儀式も執り行われた<ref>榎村『日本歴史大事典』</ref>
 
[[伊勢神宮]]の[[斎宮]]の場合、初斎院から移って[[伊勢国|伊勢]]に[[群行]]するまでの1年間を過ごす施設を指し、卜定によって宮城郊外の浄野に設置されることとされていた(『[[延喜式]]』)。古くは[[天武天皇]]の時代に[[大伯皇女]]が泊瀬斎宮に籠った例が知られ、[[平安京|平安]][[遷都]]以後は主に[[嵯峨野]]もしくは[[西院]]に造営された。現在残る[[野宮神社]]・[[西院野宮神社]]・[[斎宮神社]]・[[斎明神社]]はその名残とされている。斎宮の野宮は当該斎王1代・1年間限りのもので、斎宮の群行もしくは退下の後に一旦取り壊され、新たな斎宮卜定後に新たに造営された。とはいえ、斎宮に仕える職員は男女145名(うち80名は初斎院時代より奉仕)を数えるなど、一定の規模が備わった施設であった。