「ブライトン・ルイス・アンド・ヘイスティングス鉄道」の版間の差分

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[[1837年]]、[[ロンドン・アンド・ブライトン鉄道]](LBR)の開業が議会から認められ、その際[[ショアハム=バイ=シー|ショアハム]]から{{仮リンク|ニューヘヴン (イースト・サセックス)|en|Newhaven, East Sussex|label=ニューヘヴン}}までの支線建設の許可も下りた。しかし、この支線の建設には至らなかった。そのため[[1844年]]に会社が設立され、{{仮リンク|サウス・イースタン鉄道 (イギリス)|en|South Eastern Railway (England)|label=サウス・イースタン鉄道}}が営業する[[ヘイスティングス駅]]までの路線建設を目指した。同年7月には議会から路線の承認を得たが、その際同社の株式はLBRに譲渡するとの条件が課された。会社の売却手続きは翌年行われ、同社はLBRの支社として営業を続けた<ref>{{Cite book| last= Turner | first= John Howard | year=1977 | title= The London Brighton and South Coast Railway 1 Origins and Formation | publisher=[[Batsford]] | isbn= 0-7134-0275-X}} p.213-223.</ref><ref>{{Cite book | last = White | first = H.P. | title = a regional history of the railways of Great Britain: II. Southern England | publisher = Phoenix House| date = 1961| location = London | pages = 84 }}</ref>。
 
路線の建設は{{仮リンク|[[ロンドン・ロード高架橋|en|London Road viaduct}}]]の建設に始まり、[[ファルマー]]ではトンネル建設も行った。工事は[[1844年]]9月に始まり、46年6月には[[ブライトン駅|ブライトン]] - ルイス間が開業した。その後会社は{{仮リンク|ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道|en|London, Brighton and South Coast Railway}}に統合され、ルイス以東の建設工事はLB&SCRが担当した。
 
== 脚注 ==