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創刊者ラームクリシュナ・ダルミア(1893年-1978年){{sfn|Malhan|2013|p=10}}は、{{仮リンク|チラワ|en|Chirawa}}の{{仮リンク|マールワーリー人|en|Marwari people}}家庭に生まれた。ラームクリシュナには弟{{仮リンク|ジャイダヤル・ダルミア|en|Jaidayal Dalmia}}がおり、彼は1930年代に{{仮リンク|ダルミア・グループ|en|Dalmia Group}}を立ち上げた。[[インド独立運動]]終盤の1946年にラームクリシュナは、ベネット・コールマン・カンパニー({{仮リンク|ザ・タイムズ・グループ|en|The Times Group}})を2000万ルピー(27万ドル)で買収している。サンギータ・P・メーノーン・マルハンの『The TOI Story』(2013年)によると、ラームクリシュナは「インドに有効的に奉仕するための新聞を設立する」という動機から同社を買収したとされる{{sfn|Malhan|2013|pp=9–10}}。ダルミア・グループは経営を任せられる人材を探し、1950年3月にバーラト保険会社に勤務していたJ・C・ジャインを採用した。彼はベネット・コールマン・カンパニーのゼネラル・マネージャーに就任し、1963年まで同職を務めた<ref>{{cite magazine |url=https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.101048/page/n35/mode/2up?q=Ehiring+Jain |title="No sane man would talk like Ram Nath Goenka did" |date=2 March 1986 |magazine=[[The Illustrated Weekly of India]] |last=Trivedy |first=Shikha |volume=106 |issue=9–18 |page=34 |accessdate=8 April 2021 }}</ref>。
 
1952年3月7日、ジャインは「映画製作と映画に関する意識を高める」ことを掲げ、隔週刊誌『フィルムフェア』を創刊した{{sfnm|1a1=Dwyer|1y=2008|1p=243|2a1=Panda|2y=2004|2p=137}}<ref>{{cite web |url=http://mediamagazine.in/content/film-journalism-india |title=Film Journalism in India |last=Chatterjee |first=Mrinal |author-link=Mrinal Chatterjee |date=May 2012 |publisher=[[Kerala Media Academy]] |accessdate=9 April 2021 |archivedate=14 August 2020 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200814012533/http://mediamagazine.in/content/film-journalism-india |url-status=live }}</ref>。同誌は{{仮リンク|サーウ・シャーンティ・プラサード・ジャイン|en|Sahu Shanti Prasad Jain}}と彼の妻ラーマが[[ムンバイ|ボンベイ]]で創刊{{sfn|Malhan|2013|pp=11, 17}}、[[ザ・タイムズ・オブ・インディア]]から配布され{{sfn|Dwyer|2008|p=243}}、「別名は"Credibility"」「インド初の映画ジャーナリズムへの取り組み」というキャッチフレーズで宣伝された{{sfnm|1a1=Panda|1y=2004|1p=138|2a1=Majumdar|2y=2012|2p=180}}。フィルムフェアには当時の若手の有望視された俳優の特集や映画批評、「The Fortnight in Films」「Filmfacts」などのコラムが掲載された<ref name="Filmfare, March 1952" />。同誌は第1回[[インド国際映画祭]]の2か月後に刊行され、ネーパ・マジュンダルの『Global Neorealism: The Transnational History of a Film Style』(2012年)によると、フィルムフェアは「映画祭をインド映画(俳優たち)が高品質の映画に触れる機会と捉え」、主演俳優としての地位を確立したという{{sfn|Majumdar|2012|p=180}}。フィルムフェアの創刊号には、以下の宣言文が掲載された。
 
<blockquote>フィルムフェアは映画業界と、映画ファンという膨大な数の観客から構成されるパトロンという2つの立場から作られています。本誌はインド初の映画ジャーナリズムへの本格的な取り組みを掲げています、本誌は一味違った映画雑誌です。その違いは、複合芸術メディアとしての映画には真剣な研究と建設的な批判、そして業界や大衆からの評価が必要という認識から生まれました<ref name="Filmfare, March 1952">{{cite magazine |title=Editorial: Introducing ourselves |date=7 March 1952 |magazine=Filmfare |pages=2–3 |volume=1 |issue=1 }}</ref>。</blockquote>