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家庭用[[VHS]]デッキの普及と同期して、1980年代頃から一般に登場した。
* 創成期(1980年代前半)
** 映画が作られるようになって間もなく、わいせつな映画も作られるようになった。日本にも20世紀初頭から流入、独自に国内でも製作もされるようになり、一部で非合法フィルム=「[[ブルーフィルム (ポルノグラフィ)|ブルーフィルム]]」の秘密上映会も行われるようになった<ref>{{Cite web |author=安田理央|url=https://kenelephant.co.jp/magazine/rensai_rio-yasuda_01/ |title=01 AV前史[前編]ポルノ誕生からブルーフィルムへ |publisher=Kenelephant |date= 2021-08-26|accessdate=2021-11-22}}</ref>。[[1960年代]]には10万本以上も売りさばくブローカーが現れるなど活況を呈していた<ref>ブルーフィルム十万巻製作 指名手配の男逮捕『朝日新聞』1970年2月13日 12版 15面</ref>が、「ブルーフィルム」の上映には映写機など高価で大きな機材が必要なため、一部の愛好家による道楽的な要素が強かった。その点は小型で個人視聴が可能なビデオデッキの普及は、アンダーグラウンドメディアに革命をもたらし、フィルムからテープへの記録方式の変化によって「ブルーフィルム」はやがて淘汰され消滅していった。しかし、撮影のノウハウなどは少なからず裏ビデオに影響を与えることとなった。
** 日本には戦前から(一説には20世紀初頭、大正期)わいせつな映像メディアとして非合法フィルム=「[[ブルーフィルム (ポルノグラフィ)|ブルーフィルム]]」文化が存在していた。
1960年代には10万本以上も売りさばくブローカーが現れるなど活況を呈していた<ref>ブルーフィルム十万巻製作 指名手配の男逮捕『朝日新聞』1970年2月13日 12版 15面</ref>が、「ブルーフィルム」は映写機など高価で大きな機材が必要なため、一部の愛好家による道楽的な要素が強かった。その点は小型で個人視聴が可能なビデオデッキの普及は、アンダーグラウンドメディアに革命をもたらし、フィルムからテープへの記録方式の変化によって「ブルーフィルム」はやがて淘汰され消滅していった。しかし、撮影のノウハウなどは少なからず裏ビデオに影響を与えることとなった。
** 当時は家電小売販売店がビデオデッキ販売促進の為、プレゼントされていたこともあったともいわれる<ref>[http://www.npa.go.jp/hakusyo/s54/s540500.html 昭和54年警察白書] - わいせつフィルムをもとに複製したビデオテープをサービス品につけてビデオコーダーの売上げを伸ばそうと計画。</ref><ref>[http://www.npa.go.jp/hakusyo/s55/s550600.html 昭和55年警察白書] - 電気器具販売業者がビデオデッキの販売促進手段として、それらのビデオテープとセットで販売。</ref>。1980年代は、初めから裏ビデオの販売目的で性行為を作品化した非合法組織が製作していたとされる。流通していた物の多くは、何度もダビングを繰り返した(著作権を主張される可能性がほとんどなかった為)。その為、画像の質が劣化していた。
** 定説では、自主制作裏ビデオの第1号は「星と虹の詩」と言われる。その後、[[1982年]]頃、本格的裏ビデオ「[[洗濯屋ケンちゃん]]」(一部の書物には、裏ビデオ第1号を「洗濯屋ケンちゃん」とする説を載せている)東京放送(TBS)の「8時だよ全員集合」などゴールデンタイムのバラエティ番組や人気アーチストのプロモーションビデオの中で、タレントが「洗濯屋ケンちゃん」と発言するなど、裏ビデオの存在が公然と語られるようになった。