「マックボンボン」の版間の差分

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このため志村は、ドリフの付き人の一人であった福田正夫を次の相方として選び、新生「マックボンボン」を出発させる。ぎんぎら!ボンボン!は『[[シャボン玉ボンボン]]』にリニューアルされ、志村は福田との新生マックボンボンで出演した。しかし、シャボン玉ボンボンも番組内コントが廃止されて歌謡番組となり、3ヶ月で終了する<ref name=kinchan />。元[[自衛隊]]員の福田は元々お笑い芸人志向ではなく、常々「お笑いじゃなくてもやっていける」と公言し、練習に身を入れることもなかった。
 
73年にドリフの浅草国際公園に出演するなど福田になってからも一定の活動はあったものの、結局コンビは自然消滅となり福田は芸能界を引退。志村は再びドリフの付き人に戻った。程なくして、ドリフは[[荒井注]]のグループ脱退が決定して、志村が後任のメンバーに選ばれ、[[1974年]]4月から志村はドリフのメンバーとなった。
 
1974年正月用に渡辺プロ所属芸能人が一堂に会した集合写真があり(最前列は中央に渡辺プロ社長を挟んで[[ザ・ピーナッツ]]がいるほか主要女性陣。2列目が主要男性陣で、中央の[[森進一]]、[[布施明]]、[[沢田研二]]を挟んで左側がザ・ドリフターズ、右側が[[クレージーキャッツ]]で対を成している)、ザ・ドリフターズとは離れてマックボンボンの2人が後列右端に写っているが、キャプション説明では「一人おいて、志村健」と福田の名前を飛ばしている。健の字は漢字。マックボンボンのコンビ名は記述なし。{{efn|この時点で志村はドリフメンバーになるのが決定していた為の処置、もしくは撮影から掲載までに解散していたからだと思われる。}}
 
{{main2|志村のその後|志村けん}}