「史的イエスの資料」の版間の差分

修正
(修正)
{{See also|en:Jesus in the Talmud#As evidence of the historical Jesus|en:Yeshu}}
[[ファイル:Codex_Reuchlin_2_96v.jpg|サムネイル|231x231ピクセル|12世紀の''[[サンヘドリン (タルムード)|サンヘドリン]]''のページロイクリンコーデックス[[タルムード]]]]
[[ユダヤ教]]の注釈書である[[タルムード]]のうち5世紀末に[[バビロニア]]で成立したバビロニア・タルムード<ref>[[石川耕一郎]]「[https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%89-94775 タルムード]」『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』[[小学館]]、[[コトバンク]]。2021年10月14日閲覧。</ref><ref>「[https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%89-94775#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8 タルムード]」『[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典』、コトバンク。2021年10月14日閲覧。</ref>{{Refnest|group="注釈"|「バビロニア・タルムードの最終版は、七世紀初頭に[[バビロニア]]で完成した」<ref>[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、1頁。</ref>。}}{{refnest|group="注釈"|史的イエスの資料としてのバビロニア・タルムードについては、成立がイエスの時代から数百年後であることなどから資料価値がないとする説と、元になった伝承の中にはおそらくイエスの同時代にさかのぼるものがあると推定する説がある<ref>J・H・チャールズワース ([[:en:James H. Charlesworth|James H. Charlesworth]])『これだけは知っておきたい 史的イエス』[[中野実 (神学者)|中野実]]訳、[[教文館]]、2012年、126-127頁。ISBN 9784764266988。</ref>。}}には「イエス・ベン・パンデラ」(パンデラの息子イエス)<ref>「[[ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ]]」も参照。</ref>あるいは「ベン・スタダ」(スタダの息子)などという呼び方でイエスに言及したとみられる箇所がわずかだがある<ref>[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、10-11頁。</ref>{{refnest|group="注釈"|当時のユダヤ人がイエスについてほとんど言及していないことは別に驚くべきことではないと[[:en:Robert Van Voorst|Robert Van Voorst]]は述べている。なぜなら1世紀の間ユダヤ人にとってイエスは重要な問題ではなかったし、70年にエルサレムがローマ軍によって包囲され破壊された([[エルサレム攻囲戦 (70年)|エルサレム攻囲戦]])後、ユダヤ人の学者はユダヤ教を守ることに注力していて、キリスト教にあまり関心を持たなかったからである<ref>Van Voorst, Robert E. (2000). ''Jesus Outside the New Testament: An Introduction to the Ancient Evidence''. Wm. B. Eerdmans Publishing Co.. {{ISBN|0-8028-4368-9}}. pp. 129–130</ref>。}}。この中のいくつかは恐らく[[タンナイーム]]時代すなわち西暦70年頃から200年頃の間{{Refnest|group="注釈"|タンナイーム時代は紀元1世紀から2世紀とされる<ref>[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、巻末3頁。</ref>。}}にさかのぼる<ref name=Blom280/><ref name=Kellum107 >Kostenberger, Andreas J.; Kellum, L. Scott; Quarles, Charles L. (2009). ''The Cradle, the Cross, and the Crown: An Introduction to the New Testament'' {{ISBN|0-8054-4365-7}}. pp. 107–109</ref>。しかしこれらの各記述は確かにイエスに関するものなのか、またそれは歴史的価値があるものなのかについて学者たちが議論を続けている<ref name=BEddy170>Eddy, Paul; Boyd, Gregory (2007). ''The Jesus Legend: A Case for the Historical Reliability of the Synoptic Jesus Tradition'' {{ISBN|0-8010-3114-1}} pp. 170–174</ref><ref>Theissen, Gerd; Annette Merz (1998) ''The historical Jesus: a comprehensive guide'', Fortress Press, pp. 72–76</ref><ref>Delbert Burkett (2010) ''The Blackwell Companion to Jesus''. {{ISBN|140519362X}} p. 220</ref>{{refnest|group="注釈"|例えば、バビロニア・タルムードの中の"Yeshu ha-Notzri"という呼び方に関しては、"ha-Notzri"は語源からするとイエスを指す[[ナザレ|ナザレ人]]ではなく、伝説的な[[ナジル人]]を指しているので、イエスについての言及ではないと[[:en:Robert Eisenman|Robert Eisenman]]は論じている<ref>[[:en:Robert Eisenman|Einsenman, Robert]] (2002), "James; the Brother of Jesus" Watkins.</ref>。}}。
 
ラビ文献においてイエスに関する最も重要な言及と一般的に考えられている「[[サンヘドリン (タルムード)|サンヘドリン]]」43a<ref name="『タルムードの中のイエス』96-97頁">[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、96-97頁参照。</ref>の場合は、言及自体だけではなくその文脈からもイエスがその箇所の主題であることが確認でき、ナザレのイエスの死を指していることに疑いの余地はないと[[:en:Robert E. Van Voorst|Van Voorst]]は述べている<ref name=Leslie693>J. L. Houlden ed (2006). ''Jesus: The Complete Guide''. {{ISBN|082648011X}}. pp. 693–694</ref><ref name=Voorst117118>Van Voorst, Robert E. (2000). ''Jesus Outside the New Testament: An Introduction to the Ancient Evidence'' Wm. B. Eerdmans Publishing Co.. {{ISBN|0-8028-4368-9}}. pp. 177–118</ref>。死刑に関する「サンヘドリン」43aの注釈でナザレのイエスについて言及していると認められるならば、それはイエスの存在と処刑の証拠となると[[:en:Christopher M. Tuckett|Christopher M. Tuckett]]は述べている<ref>Markus N. A. Bockmuehl (2001). ''The Cambridge Companion to Jesus''. {{ISBN|0521796784}}. p. 123</ref>。この箇所は[[過越祭]]におけるイエスの裁判と死に関する[[タンナイーム]]的な言及であり、タルムードにおけるイエスに関する他の言及よりも古い可能性が高いと[[:en:Andreas Kostenberger|Andreas Kostenberger]]は述べている<ref name=Kellum107 />。この箇所はイエスに対するラビたちの敵意を反映しており、次のような文章が含まれている。<ref name=Blom280>Craig L. Blomberg (2009). ''Jesus and the Gospels: An Introduction and Survey''. {{ISBN|0805444823}}. p. 280</ref><ref name=Kellum107 />
{{quote|次のように教えられた。[[過越祭]]の前夜に{{仮リンク|イェシュー|en|Yeshu}}は架けられた{{refnest|group="注釈"|「架けられた」:死刑執行を知らしめるために[[石打ち|石打ちの刑]]の後に死体を架けた<ref>[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、95頁参照。</ref>。}}。40日前から使者によって「(イェシューは)魔術を使い、[[イスラエル]]をそそのかし、誘惑した罪で[[石打ち|石打ちの刑]]に処せられる。彼の無実について何か知る者は誰でも出て来てそれを述べよ」と、告知されていたが、誰も彼を無実にするものを持っていなかったので過越祭の前夜に彼を架けた。|「[[サンヘドリン (タルムード)|サンヘドリン]]」43a<ref name="『タルムードの中のイエス』96-97頁" />}}
 
一方{{仮リンク|ペーター・シェーファー|de|Peter Schäfer (Judaist)}}は、タルムードに書かれているイエスの処刑に関する物語がナザレのイエスを指していることは疑いの余地がないが<ref>「補遺 バビロニア・タルムードの諸写本と検閲」[[#タルムードの中のイエス|『タルムードの中のイエス』]]、215頁。</ref>、この問題の箇所はタンナイーム的ではなく、後の[[アモライーム]]時代のもので、キリスト教の『福音書』を参考にして、それに対する応答として書かれたものではないかと述べている<ref name=PeterS141>''[[#Jesus in the Talmud|Jesus in the Talmud]]'', p. 141</ref>。また{{仮リンク|バート・アーマン|en|Bart Ehrman}}や[[:en:Mark Allan Powell|Mark Allan Powell]]は、タルムードによる言及はイエスの時代よりかなり後のものであることを考えると、イエスの生涯における教えと行動についてタルムードは歴史的に信頼できる情報を与えることは出来ないと述べている<ref>''Jesus: Apocalyptic Prophet of the New Millennium'' by Bart Ehrman 2001 {{ISBN|019512474X}} p. 63</ref><ref>[[:en:Mark Allan Powell|Powell, Mark Allan]] (1998)''Jesus as a Figure in History: How Modern Historians View the Man from Galilee'' by Mark Allan Powell (1998) {{ISBN|0664257038}}. p. 34</ref>。
 
また2世紀初頭のラビ文献である『{{仮リンク|トセフタ|en|Tosefta}}』(口伝律法の補遺集<ref>「[https://kotobank.jp/word/%E3%83%88%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%BF-1378977 世界大百科事典内のトセフタの言及]」【タルムード】『[[世界大百科事典]]』第2版、[[平凡社]]、コトバンク。2021年11月26日閲覧。</ref>)の「[[フッリーン]]」II 22には、Eleazar ben Damaという[[ラビ]]が蛇にかまれたとき、イエスの名による癒しは律法に反すると他のラビに異を唱えられ、それゆえに死んでしまったという記述がある<ref name=Bammel393/>。この箇所はイエスの行なう奇跡は邪悪な力に基づくという初期のユダヤ人敵対者の態度を反映している<ref name=Bammel393>''Jesus and the Politics of his Day'' by E. Bammel and C. F. D. Moule (1985) {{ISBN|0521313449}} p. 393</ref><ref name=Kee71>''The Beginnings of Christianity'' by Howard Clark Kee (2005) {{ISBN|0567027414}} p. 71</ref>。
 
EddyとBoydはその共著で、タルムードなどの資料のいくつかの価値を疑問視しているが、史的イエス研究におけるタルムードなどの意義は、それがイエスの存在を決して否定せず、魔術師として告発し、間接的にイエスの存在を確認している点にあると述べている<ref name=BEddy170/>。[[:en:R. T. France|R. T. France]]やEdgar V. McKnightは、タルムードの記述は、キリスト教徒の記述と異なる点やイエスについて否定的である点から実在の人物についての記述であることを示していると述べている<ref>R. T. France ''The Evidence for Jesus'' 2006 {{ISBN|1573833703}} p. 39</ref><ref>''Jesus Christ in History and Scripture'' by Edgar V. McKnight 1999 {{ISBN|0865546770}} pp. 29–30</ref>。[[:en:Craig Blomberg|Craig Blomberg]]は、ユダヤ教では伝統的に決してイエスの実在を否定することはなく、{{仮リンク|ケルソス|en|Celsus}}が書いた反キリスト教論のようなユダヤ教以外の資料にも反映しているように、ユダヤ教はイエスを魔術師や奇術師であると非難したと述べている<ref name=Blom280/>。[[:en:Andreas Kostenberger|Andreas Kostenberger]]は、タルムードの言及から導き出される全体的な結論は、ユダヤ教は伝統的にイエスが歴史的に実在した人物であることを決して否定していず、タルムードはイエスの信用を落とすことに焦点を当てていたということであると述べている<ref name=Kellum107 />。
 
=== その他の資料 ===
タッロスについてと同様に、140年頃に年代記を書いた'''[[:en:Phlegon of Tralles|Phlegon of Tralles]]'''(80年頃 - 140年頃)という歴史家についてアフリカーヌスが言及していて次のように記録されている。「Phlegonは[[ティベリウス]]帝の時代に満月の時、第6時(正午)から第9時(午後3時)まで皆既日食があったことを記録している」(アフリカーヌス『年代史』18:1)<ref name="全地が暗くなった" />。[[オリゲネス]]もPhlegonに言及している。「Phlegonはその年代記の第13巻か第14巻で未来の出来事についての知識をイエスに帰しただけでなく、その結果がイエスの予言に一致したことを証言している」(オリゲネス『ケルソス駁論』第2巻14章)。「そしてイエスが十字架にかけられたと思われるティベリウス帝の時代の日食とその時に起きた大地震について……」(オリゲネス『ケルソス駁論』第2巻33章)。「イエスは生きている間は自分自身のために何の役にも立たなかったが死後に起き上がり、自分の刑罰の跡を見せ、手がどのように釘で刺されたかを見せた。」(オリゲネス『ケルソス駁論』第2巻59章)<ref>http://www.earlychristianwritings.com/text/origen162.html see book 2, chapter 33 and 59</ref>。しかし4世紀に書かれた『年代記』の中で[[エウセビオス]]はPhlegonの言葉をそのまま記録している。「さて第202オリンピアード第4年(西暦32年)第6時(正午)にそれまでのすべての日食にまさる大日食が起こり、昼間が天に星がみえるほどの夜の闇に変わり、[[ビテュニア]]では地が動き、[[ニカイア]]の町では多くの建物が倒された」。Phlegonはイエスと(死の直前の)3時間の闇についてはまったく言及していない。Phlegonは日食についても言及しているが、それは過越祭には起らない。改変されているかも知れない係年を除けば、この記述は西暦29年11月にトルコ北西部で起きた地震と日食に合致する<ref>{{Cite news|url=http://eclipse.gsfc.nasa.gov/SEsearch/SEsearchmap.php?Ecl=00291124|title=NASA - Total Solar Eclipse of 29 November 24}}</ref>。
 
'''[[アレクサンドリアのフィロン]]'''(紀元前15頃 - 紀元後45頃)は、ユダヤ教の「最初の神学者」と称される<ref>「[https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AD%E3%83%B3%5B%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%5D-122892 フィロン[アレクサンドリア]]」『[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典』[[コトバンク]]。2021年11月20日閲覧。</ref>哲学者だが、キリスト教史にとっては主に何人かの使徒についてフィロンが再び光をあてたその考え方や表現法を検討する上で重要である。[[エウセビオス]]は<ref>[http://www.newadvent.org/fathers/250102.htm Church History II.4 ]</ref>確かにフィロンがローマで[[カリグラ]]帝訪問使節団の一人として[[ペトロ]]と会ったという伝説を残している。さらにフィロンはその瞑想的生活に関する著書の中でユダヤ教の[[エッセネ派]]や{{仮リンク|テラペウタイ派|en|Therapeutae}}ではなくキリスト教の[[アレクサンドリア教会]]の生活を著書『観想的生活』<ref>[[アレクサンドリアのフィロン]]「観想的生活」『観想的生活. 自由論』土岐健治 訳、教文館、2004年。</ref>で描いている。しかしフィロンがイエスとその信者たちについて、上述の伝説に歴史的根拠を与える情報を得ていたとは到底考えられない。<ref>[http://www.newadvent.org/cathen/08375a.htm Early Historical Documents on Jesus Christ]</ref>
 
2世紀の哲学者'''{{仮リンク|ケルソス|en|Celsus}}'''は2世紀後半の著作でキリスト教に対して史上初の全面的な攻撃をした<ref name=Eddy122 /><ref name=Voorst6568 />。ケルソスの著作は現存していないが、3世紀に[[オリゲネス]]が大著『ケルソス駁論 (ばくろん) 』で反論していて<ref>水垣渉(2015年)「[https://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%8D%E3%82%B9-41431 オリゲネス]」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク。2021年11月21日閲覧。</ref>、それによってケルソスの書いたことが分かる<ref name=Eddy122 />。オリゲネスによればケルソスはイエスを魔術師、呪術師と非難した。ケルソスの所説は価値があるものかも知れないが、その原文を調べることが出来ないので歴史的な価値はほとんど無い<ref name=Voorst6568>Van Voorst, Robert E. (2000). ''Jesus Outside the New Testament: An Introduction to the Ancient Evidence''. Wm. B. Eerdmans Publishing Co.. {{ISBN|0-8028-4368-9}} pp. 65–68</ref>。