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en:Eagle-class patrol craft 2021-09-24 13:19を翻訳して本文に加筆。{{艦級}}追加。
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1行目:
{{Infobox 艦級
[[Image:Eagle boat.jpg|250px|thumb|right|イーグル級哨戒艇 Eagle 2 (PE-2)]]
|名称=イーグル級哨戒艇
'''イーグル級哨戒艇'''(Eagle class patrol craft)は、[[アメリカ海軍]]が使用した[[哨戒艇]]。[[1917年]]に駆逐艦よりは小型で、木製の[[駆潜艇]]よりも行動半径の大きな鋼船として開発された。当初、「USS Eagle Boat No.XX」と言う呼称であったが、[[1920年]]にPE-XXという形式に改められている。[[第二次世界大戦]]当時にも残存していた艇があり、用いられている。
|画像=Eagle boat.jpg
|画像幅=250px
|画像説明=イーグル 2 (PE-2)
|艦種=哨戒艇
|船種=
|命名基準=
|建造所=
|運用者={{USNAVY}}
|建造期間=
|就役期間=
|同型艦=
|計画数=112
|建造数=60
|前級=
|次級=
|要目注記=
|排水量=615 [[トン数|トン]]
|基準排水量=
|軽荷排水量=
|常備排水量=
|公試排水量=
|満載排水量=
|水中排水量=
|長さ=
|全長={{convert|200.8|ft|m|lk=on|abbr=on}}
|水線長=
|垂線間長=
|幅=
|全幅={{convert|33.1|ft|m|abbr=on}}
|水線幅=
|高さ=
|吃水={{convert|8.5|ft|m|abbr=on}}
|深さ=
|機関=
|主缶=
|主機=プールギア [[蒸気タービン]]×2
|推進器=[[スクリュープロペラ]]×1軸
|出力={{convert|2500|shp|kW|lk=on|abbr=on}}
|電源=
|速力={{Convert|18.32| kn| km/h| lk = on}}
|最大速力=
|巡航速力=
|航続距離=<!--「{{Convert| | nmi| km| lk = on}}」の使用を推奨-->
|燃料=<!-- トン -->
|乗員=士官:5名、下士官兵:56名
|兵装={{ubl|{{仮リンク|4インチ/50口径単装砲|en|4-inch/50-caliber gun}}×1門|{{仮リンク|3インチ/50口径単装砲|en|3-inch/50-caliber gun}}×1門|[[ブローニングM2重機関銃|50口径 (12.7mm) 機関銃]]×2挺|
Y砲([[爆雷]]投射機)×1基(PE-4~7のみ)}}
|装甲=
|C4I=<!--戦術情報処理装置やデータ・リンク装置など-->
|C4ISR=
|FCS=
|レーダー=
|ソナー=
|機雷戦=
|電子戦=<!--省略可能; ECM, ESM装置など-->
|特殊装備=<!--掃海装備など-->
|その他=
|備考=
}}
'''イーグル級哨戒艇'''(Eagle class patrol craft)は、[[アメリカ海軍]]が使用した[[哨戒艇]]。[[1917年]]に[[駆逐艦]]より小型で、木製の[[駆潜艇]]よりも行動半径の大きな鋼船として、既存の駆潜艇の航続距離の短さ(速力{{Convert|10|kn|lk=in}} で約{{Convert|900|mi|km}} )と燃費の改善を目的に開発された。
 
当初、「USS Eagle Boat No.XX」と言う呼称であったが、[[1920年]]に「PE-XX」という形式に改められている。[[第一次世界大戦]]における戦闘には参加しなかったが、[[ロシア内戦]]への介入戦争に使用されたものもあった<ref name="proceedings">Cianflone, Frank A. "The Eagle Boats of World War I" ''United States Naval Institute Proceedings'' June 1973 pp.76–80</ref>。大半の艇は[[戦間期]]に退役したが、PE-19・27・32・38・48・55・56・57は[[第二次世界大戦]]当時も現役で使用された<ref name="Silverstone">Silverstone, Paul H. ''U.S. Warships of World War II'', Doubleday & Company (1968) p.252</ref>。
==概歴==
[[第一次世界大戦]]中の1917年6月に[[ウッドロウ・ウィルソン]]大統領から、[[Uボート]]の脅威に対抗するための対潜艦艇の建造を諮問された[[ヘンリー・フォード]]の、同一の設計による艇を大量生産するという方針により、設計が開始された。フォードは、[[アメリカ合衆国造船委員会]]に加わり、翌1月には自ら指揮を執ることになった。
 
建造に当たっては、既存の[[造船所]]の多くが駆逐艦や大型の軍艦、大型商船建造に注力していたため、経験の浅い造船所でも迅速な建造を可能にすべく、設計の徹底した簡素化が行われた。
設計は海軍によって一括して行われ、経験の乏しい造船所による建造を可能とされていた。フォードは自動車産業で培った大量生産の技法を造船に取り入れ、デトロイト近郊のリバー・ルージュに工場を建設し、そこから大西洋に完成した艇を送り出す計画を立てた。当初の計画では[[1918年]][[12月1日]]までに100隻を建造し、さらにイタリア向けの12隻が追加された。5月には工場が完成し、建造が開始された。第一次世界大戦で用いられることはなく、1918年[[11月30日]]には、調達数がアメリカ海軍向けの60隻に減じられた。生産は遅れたものの同年中に7隻が就役、残る53隻も翌年に就役した。
 
== 計画 ==
完成した船体は、海上での安定性に支障を生じていた。サイズも小型であったが、数隻が水上機母艇として[[1920年]]にはミッドウェー島で、[[1921年]]にはハワイでより大型の艦が配備されるまで用いられた。
1917年6月、[[アメリカ合衆国大統領|大統領]][[ウッドロウ・ウィルソン]]は、[[ヘンリー・フォード]]を[[ワシントンD.C.]]に招聘し、海事委員会への参加を要請した。ウィルソンは、フォードが持つ大量生産技術で船の建造を大幅にスピードアップできると考えていた。[[Uボート]]の脅威に対抗するための対潜水艦用艦艇の必要性を知らされたフォードは、「必要なのは同型の艦艇を大量生産することだ」と答えた。
 
11月7日、フォードは海事委員に就任。[[アメリカ海軍|海軍]]で計画されていた鋼製哨戒艇の計画を検討したフォードは、同一の設計にすることで艇を迅速に大量生産すること、また、[[レシプロエンジン|レシプロ蒸気エンジン]]に代わり[[蒸気タービン]]を採用するよう要求した。しかし、フォードはこの2点以外は専門外の船体の設計についてほとんど関与しなかった。
一部が[[1919年]]に[[アメリカ沿岸警備隊]]に移管され、残る艇の多くが[[1930年代]]から[[1940年代]]初頭にかけて売却された。第二次世界大戦勃発時においてPE-19、32、38、48、55、56、57が現役であった。[[UボートIX型|U-853]]の雷撃によりPE-56が失われたが、他の6隻は大戦を生き延び、さらに戦後の[[1946年]]にPE-19が失われたが、残る5隻が売却され、これをもって全ての艇が除籍された。
 
[[アメリカ合衆国海軍長官|海軍長官]][[ジョセファス・ダニエルズ]]は、海軍の造船所には新しい船を建造するための空きがないため、フォード社に建造を引き受けられるかどうか尋ねた。フォードは同意し、[[1918年]]1月に100隻の建造を進めるように指示された。その後、[[イタリア海軍]]に供給するためにさらに12隻が追加された。
==要目==
 
*満載排水量:710t
フォードは当時を、「単に私たちの生産原理を応用することで簡単に建造できると考えていた」と回想している<ref>{{Cite book|last=Ford|first=Henry|title=My Life and Work|date=2006|location=Columbia|isbn=9781545549117|pages=119|publisher=Standard Pubns Inc}}</ref>。
*全長:61m(200ft 9in)
 
*全幅:7.9m(25ft 9in
== 建造 ==
*吃水:最大4.2m(13ft 6in)
フォードの立てた建造計画は[[デトロイト]]郊外の{{仮リンク|ルージュ川 (ミシガン州)|en|River Rouge (Michigan)|label=ルージュ川}}河畔に新たに造船所を設立し、大量生産技術と多くの労働力を用いて艇を工業製品として生産し、完成した艇は[[五大湖]]と[[セントローレンス川]]を経由して大西洋岸の軍港へ送るという革新的なものだった。
*乗員:61人(士官5人)
 
*機関:ギアード・タービン2缶1基1軸推進、2,500hp
まず、フォード社のエンジニアが同社の{{仮リンク|フォード・ハイランドパーク工場|en|Highland Park Ford Plant|label=ハイランドパーク工場}}で実物大の模型を製作し、それを基にフォード社と海軍双方の技術者によって、初期設計段階での欠陥修正とリベットの配置が決定された。次にフォード社の生産部門によって建造工程の仕様が作成された <ref name=":0">{{Cite book|title=Military Enterprise and Technological Change: Perspectives on the American Experience|last=Hounshell|first=David|publisher=The MIT Press|year=1985|isbn=0-262-19239-X|editor-last=Smith|editor-first=Merritt|location=Cambridge|pages=175–202|chapter=Chapter 4: Ford Eagle Boats and Mass Production during World War I}}</ref>。
*速力:最大18.32ノット
 
*武装:102mm(4インチ)/50口径単装砲 1門、76mm(3インチ)/50口径単装砲 1門、12.7mm機銃 2挺。Y砲(爆雷投射機)1基(PE-4~7のみ)
船体の組立工場は5ヶ月で完成し、1918年5月に一番艇が起工した。内蔵される機械と付属品は主にハイランドパーク工場で製作されたが、装甲板やその他の部品の多くはリバールージュ造船所のA棟で製造された<ref name=":0" />。当初フォードは船も自動車のように連続した組立ラインで製造できると信じていた。しかし、船の大きさからこれは難しく、 {{Convert|1700|ft|m}} のライン上に7つの組立エリアを設け、されに組立工場(B棟)に{{Convert|200|ft|m}}200フィート(61 m)の延長部分を設け、組立前の段階をサポートする方式を採用した<ref name=":0" />。イーグル級の建造工程は、フォード社の造船に関する経験不足のため様々な問題を抱えていた。たとえば、[[T型フォード]]では使用されない[[アーク溶接]]で作られた船体の仕上がりが非常に悪く、海軍の監督官がフォード社の労働者に水密および油密隔壁では溶接を使用しないように要請したほどだった<ref name=":0" />。また、組立足場を組まず梯子を使用したことで、十分な力でボルトを締められず装甲版をしっかり固定することが出来ず<ref name=":0" />、装甲板と船体の間に金属片が残ってしまい、リベッターで板を引っ張って船体に密着させる作業ができなくなってしまった<ref name=":0" />。
''各艇に様々な相違点があり、特記無き限り上の数値は1番艇のものである。''
 
イーグル級一番艇は7月11日に[[進水式|進水]]した。組立ラインと進水設備がつながっていなかったため、完成した{{Convert|200|ft|m}} の船体はトラクターでゆっくりと牽引されて組立ラインから水際にある進水設備へと移動した。設備は高さ{{Convert|225|ft|m}} の鋼鉄製で、船を乗せると自重で{{Convert|20|ft|m}} 沈むように設計されていた。進水後、動力や武装・配線などの[[艤装]]が施される予定だったが、船体内のスペースが狭いため、すぐに頓挫した<ref name=":0" />。
 
イーグル級の建造計画はフォードの掲げた大量生産の理念に反する結果となった<ref name=":0" />。1918年3月1日にフォードと海軍の間で締結された契約では、「7月中旬までに1隻、8月中旬までに10隻、9月中旬までに20隻、それ以降は毎月25隻」と毎日1隻の船が完成する計算で12月1日までに合計100隻の船の引き渡しを予定していた<ref name=":0" />。しかし最初の7隻は、1918年末まで完成せず、後続の船は、燃料区画からの油漏れなどの問題に悩まされていた。労働力を7月までに4,380人、その後8,000人に増員したにもかかわらず、この状況は続いた。主な原因は、初期段階におけるフォードの過度の楽観主義と現場の労働者と管理者の経験不足だった。 1918年11月11日の[[ドイツと連合国の休戦協定 (第一次世界大戦)|休戦協定]]の調印により、一度は100隻から112隻に引き上げられていた契約数は11月30日60に削減された。7隻が1918年に就役し、残りの53隻は1919年に就役した。
 
1918年12月、上院議員[[ヘンリー・カボット・ロッジ]]がイーグル級建造計画の問題を指摘した。それを受けて開かれた[[公聴会]]で、海軍当局者は計画を必要な実験であるとし、フォード社の得た利益も僅かなものであると擁護した。しかし、歴史家のデビッド・ハウンシェルは、「イーグル級建造計画は、戦時中であったことを考慮しても現在の基準では成功したとは見なされない」と述べており、今日では{{仮リンク|科学技術史|en|History of science and technology}}において、表面的に似ていても根本的に異なる分野間において知識と技術を相互移転することの難しさを示す事例となっている<ref name=":0" />。
 
== 軍歴 ==
「イーグル・ボート」という呼称は[[ワシントン・ポスト]]紙の戦時中の社説の一文''「...海を捜索し、すべてのドイツの潜水艦を襲い、破壊する鷲」'' に由来する。しかし、イーグル級は[[第一次世界大戦]]で実戦に参加したことはない。
 
イーグル級の船体は海上での安定性に問題を抱えていた。フォードの主張によると、圧延鋼板の代わりにフランジ鋼板を導入したことで生産が容易になったが、その耐航性は彼の理想からはほど遠かったという。
 
第一次大戦後の最初の数年間、イーグル級はより大型の艦が就役するまでの間、[[1920年]]に[[ミッドウェー島]]で、そして[[1921年]]に[[ハワイ諸島]]で[[水上機母艦|水上機母艇]]として使用された。またマックス・ミラーの1932年の著書『I Cover The Waterfront』によると、哨戒艇「イーグル34」は、{{仮リンク|バガデュース級タグボート|en|Bagaduce-class tugboat}}「{{仮リンク|コカ (AT-31)|en|USS Koka (AT-31)|label=コカ}}」と交代でメキシコの[[グアダルーペ島]]にて[[サンディエゴ動物園]]で展示する[[ゾウアザラシ属|ゾウアザラシ]]を捕獲する任務についていた<ref>{{Cite web|url=http://www.sandiegoreader.com/news/2004/feb/19/i-cover-waterfront/?page=2|title=I Cover The Waterfront, Chapter II (Max Miller, 1932, serialized in The San Diego Reader, February 19, 2004|accessdate=2021-11-30}}</ref>。
 
多くのイーグル級は[[1919年]]に[[アメリカ沿岸警備隊|沿岸警備隊]]に移管され、残りは1930年代と1940年代初頭に売却された。
 
[[第二次世界大戦]]勃発時点で8隻のイーグル級が現役で使用されていた<ref name=":0" />。1隻は練習船として[[マイアミ]]に駐屯していたが<ref>Sears, David, ''The Last Epic Naval Battle: Voices from Leyte Gulf'', NAL Caliber 2005 pg. 16</ref> 、「{{仮リンク|イーグル56 (哨戒艇)|en|USS Eagle 56|label=イーグル56}}」は1945年4月、[[メイン州]][[ポートランド (メイン州)|ポートランド]]近海でドイツの潜水艦に撃沈された。戦後、残った7隻も退役・除籍された<ref name=":0" />。
 
== 同型艦 ==
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%"
|+ style="background-color:#ddf" |イーグル級哨戒艇一覧
!呼称
!起工
!進水
!就役
!最後
|-
|PE-1
| style="width:15%" |1918年5月7日
| style="width:15%" |1918年7月11日
| style="width:15%" |1918年10月27日
| style="width:45%" |1930年6月11日、売却
|-
|PE-2
|1918年5月10日
|1918年8月19日
|1918年11月11日
|同上
|-
|PE-3
|1918年5月16日
|1918年9月11日
|同上
|同上
|-
|PE-4
|1918年5月21日
|1918年9月15日
|1918年11月14日
|同上
|-
|PE-5
|1918年5月28日
|1918年9月28日
|1918年11月19日
|同上
|-
|PE-6
|1918年6月3日
|1918年10月16日
|1918年11月21日
|1934年11月30日、訓練用標的として海没処分
|-
|PE-7
|1918年6月8日
|1918年10月5日
|1918年11月24日
|同上
|-
|PE-8
|1918年6月10日
|1918年11月11日
|1919年10月31日
|1931年4月1日、売却
|-
|PE-9
|1918年6月17日
|1918年11月8日
|1919年10月27日
|1930年5月26日、売却
|-
|PE-10
|1918年7月6日
|1918年11月9日
|1918年10月31日
|1937年8月19日、解体
|-
|PE-11
|1918年7月23日
|1918年11月14日
|1919年5月29日
|1935年1月16日、売却
|-
|PE-12
|1918年7月13日
|1918年11月12日
|1919年11月6日
|1935年12月30日、売却
|-
|PE-13
|1918年7月15日
|1919年1月9日
|1919年4月2日
|1930年5月26日、売却
|-
|PE-14
|1918年7月20日
|1919年1月23日
|1919年7月17日
|1934年11月22日、訓練標的として海没
|-
|PE-15
|1918年7月21日
|1919年1月25日
|1919年6月19日
|1934年6月14日、売却
|-
|PE-16
|1918年7月22日
|1919年1月11日
|1919年6月5日
|1919年12月19日、沿岸警備隊に移管<ref name="The New Navy">Silverstone, Paul (2013) [https://books.google.com/books?id=_EcxIj-_IxIC&pg=PA109&lpg=PA109&dq=%22The+New+Navy%22+USCGC+1919&source=bl&ots=ZPDBYudNIa&sig=ACfU3U3eoMXHDMlDY7BcOx8_vR5fS2ZaPA&hl=en&sa=X&ved=2ahUKEwjIu67gi8HjAhVTJ80KHcQqDWAQ6AEwBnoECAkQAQ#v=onepage&q=%22The%20New%20Navy%22%20USCGC%201919&f=false ''The New Navy, 1883-1922''], Routledge, pp.108-109. {{ISBN2|9781135865429}}.</ref>
|-
|PE-17
|1918年8月3日
|1919年2月1日
|1919年7月3日
|1922年5月22日、[[ニューヨーク州]][[ロングアイランド]]沖で大破
|-
|PE-18
|1918年8月5日
|1919年2月10日
|1919年8月7日
|1030年6月11日、売却
|-
|PE-19
|1918年8月6日
|1919年1月30日
|1919年6月25日
|第二次世界大戦まで現役。1946年8月6日、解体
|-
|PE-20
|1918年8月26日
|1919年2月15日
|1919年7月28日
|1919年11月26日、沿岸警備隊へ移管<ref name="The New Navy" />
|-
|PE-21
|1918年8月31日
|1919年2月15日
|1919年7月31日
|1919年12月19日、沿岸警備隊へ移管<ref name="The New Navy" />
|-
|PE-22
|1918年9月5日
|1919年2月10日
|1919年7月17日
|同上<ref name="The New Navy" />
|-
|PE-23
|1918年9月11日
|1919年2月20日
|1919年6月19日
|1930年6月11日、売却
|-
|PE-24
|1918年9月13日
|1919年2月24日
|1919年7月12日
|同上
|-
|PE-25
|1918年9月17日
|1919年2月19日
|1919年6月30日
|1920年6月11日、[[デラウェア湾]]で転覆
|-
|PE-26
|1918年9月25日
|1919年3月1日
|1919年10月1日
|1938年8月29日、売却
|-
|PE-27
|1918年10月22日
|同上
|1919年7月14日
|第二次世界大戦まで現役。1946年6月4日、解体
|-
|PE-28
|1918年10月23日
|同上
|1919年7月28日
|1930年6月11日、売却
|-
|PE-29
|1918年11月18日
|1919年3月8日
|1919年8月20日
|同上
|-
|PE-30
|1918年11月19日
|同上
|1919年8月14日
|1919年12月19日、沿岸警備隊へ移管<ref name="The New Navy" />
|-
|PE-31
|同上
|同上
|同上
|1923年5月18日、売却
|-
|PE-32
|1918年11月30日
|1919年3月15日
|1919年9月4日
|第二次世界大戦まで現役。1947年3月3日、売却
|-
|PE-33
|1918年12月14日
|同上
|同上
|1930年6月11日、売却
|-
|PE-34
|1919年1月8日
|同上
|1919年9月3日
|1932年6月9日、売却
|-
|PE-35
|1919年1月13日
|1919年3月22日
|1919年8月22日
|1938年6月7日、売却
|-
|PE-36
|1919年1月22日
|同上
|1919年8月20日
|1936年2月27日、売却
|-
|PE-37
|1919年1月27日
|1919年3月25日
|1919年9月30日
|1930年6月11日、売却
|-
|PE-38
|1919年1月30日
|1919年3月29日
|1919年7月30日
|第二次世界大戦まで現役。1947年3月3日、売却
|-
|PE-39
|1919年2月3日
|同上
|1919年9月20日
|1938年6月7日、売却
|-
|PE-40
|1919年2月7日
|1919年4月5日
|1919年10月1日
|1934年11月19日、訓練標的として海没
|-
|PE-41
|1919年2月20日
|同上
|1919年9月26日
|1930年6月11日、売却
|-
|PE-42
|1919年2月13日
|1919年5月17日
|1919年10月3日
|同上
|-
|PE-43
|1919年2月17日
|同上
|1919年10月2日
|1930年5月26日、売却
|-
|PE-44
|1919年2月20日
|1919年5月24日
|1919年9月30日
|1938年5月14日、解体
|-
|PE-45
|同上
|1919年5月17日
|1919年10月2日
|1930年6月11日、売却
|-
|PE-46
|1919年2月24日
|1919年5月24日
|1919年10月3日
|1936年12月10日、売却
|-
|PE-47
|1919年3月3日
|1919年6月19日
|1919年10月4日
|1935年12月30日、売却
|-
|PE-48
|同上
|1919年5月24日
|1919年10月8日
|第二次世界大戦まで現役。1946年10月10日、売却
|-
|PE-49
|1919年3月4日
|1919年6月14日
|1919年10月10日
|1930年9月20日、売却
|-
|PE-50
|1919年3月10日
|1919年7月18日
|1919年10月6日
|1930年6月11日、売却
|-
|PE-51
|同上
|1919年5月14日
|1919年10月2日
|1938年8月29日、売却
|-
|PE-52
|同上
|1919年7月9日
|1919年10月10日
|同上
|-
|PE-53
|1919年3月17日
|1919年8月13日
|1919年10月20日
|1938年8月26日、売却
|-
|PE-54
|同上
|1919年7月17日
|1919年10月10日
|1930年5月26日、売却
|-
|PE-55
|同上
|1919年7月22日
|同上
|第二次世界大戦まで現役。1947年3月3日、売却
|-
|PE-56
|1919年3月25日
|1919年8月15日
|1919年10月26日
|第二次世界大戦まで現役。1945年4月23日、メイン洲ポートランド沖にてドイツ潜水艦「{{仮リンク|U-853 (潜水艦)|en|German submarine U-853|label=U-853}}」の魚雷により戦没
|-
|PE-57
|同上
|1919年7月29日
|1919年10月15日
|第二次世界大戦まで現役。1947年3月5日、売却
|-
|PE-58
|同上
|1919年8月2日
|1919年10月20日
|1940年6月30日、解体
|-
|PE-59
|1919年3月31日
|1919年8月12日
|1919年10月19日
|1938年8月29日、売却
|-
|PE-60
|同上
|1919年8月13日
|1919年10月27日
|同上
|}
PE-61から112の発注は、1918年11月30日にキャンセルされた。この計画では、PE-5・15・25・45・65・75・86・95・105および112が[[イタリア海軍]]へ提供される予定だったが、これもキャンセルされた。
 
=== ギャラリー ===
<gallery widths="150">
ファイル:NH 85769 USS Eagle 19 (PE-19).jpg|PE-19
ファイル:PE33. Eagle boat. Starboard side, 06-1920 - NARA - 513015.jpg|PE-33
ファイル:USS EAGLE BOAT (PE-48) aground in the fog (50247700316).jpg|PE-48
ファイル:Eagle-class patrol craft PE-57 underway.jpg|PE-57
ファイル:USS Eagle boat (PE-60) launch day at the Ford Motor Company, Detroit Michigan, August 13th 1919. (50247680366).jpg|PE-60
</gallery>
 
== 出典 ==
{{Reflist}}{{DANFS}} See [http://www.hazegray.org/danfs/patrol/eagles.htm here] for text
 
== 関連項目 ==
 
* [[哨戒艦艇]]
* [[アメリカ海軍哨戒艇一覧]]
 
==外部リンク==
{{Commonscat|Eagle boats}}
*[http://www.navsource.org/archives/12/04idx.htm NavSource]
*[http://history.navy.mil/danfs/eagle1-list.htm Dictionary of American Naval Fighting Ships]{{リンク切れ|date=2021-12-04}}
 
{{warship-stub}}
 
[[Category:哨戒艦艇・巡視船艇|いくるきゆう]]