「ムドロス休戦協定」の版間の差分

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== 休戦協定の開始 ==
オスマン帝国と連合国との停戦に向けた協議は、まずオスマン帝国が、捕虜としていたイギリス陸軍少将{{仮リンク|チャールズ・タウンゼンド (1861-1924)|en|Charles Vere Ferrers Townshend|label=チャールズ・タウンゼンド}}([[クートの戦い]]で[[1916年]]に降伏して以来オスマン軍の捕虜となっていた)をイギリス軍の拠点であったムドロス港へ派遣したことによって開始された。連合国軍のイギリスとフランスとの間には[[エーゲ海]]での連合国艦隊の指揮をめぐって1918年には反目が生じており<ref name="helmreich3f">Paul C. Helmreich, S. 3f.</ref>、フランスが[[ブルガリア王国_(近代)|ブルガリア王国]]との[[サロニカ休戦協定]]で単独行動を取っていたこともあり<ref>Paul C. Helmreich, S. 31, Fußnote 2</ref>、イギリス海軍ゴフ=カルソープ提督はフランス抜きで中東での戦後の覇権を確固たるものとすべく<ref name="helmreich3f" />停戦交渉を始めた。
 
== 休戦協定の内容 ==