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== 生涯 ==
ハールーン・アッラシードの次男。母はハールーン・アッラシードの正妃ズバイダ。異母兄にマムーンがいたが、彼の母のマラージルは[[ペルシ]]奴隷出身であったため、アミーンに家督が回って来た。しかし兄弟の争いが絶えず、813年に暗殺され。死後、兄マムーンにカリフ位を譲ると密約していたが、その約束を破り、子に譲ろうとしたため、内乱を招く。歴代カリフの中でも最高峰の文化人の一人で、国内の国際文化を奨励し、また自らも教養豊かな人物であったとされ、特に[[アブー・ヌワース]]を保護したことは結果として後世のイスラム文化に他大な寄与をなした。しかしアブー・ヌワースへの傾倒からもわかる通りアミーン自身享楽的な人物で酒色にふけり、政務は宰相の[[:en:Al-Fadl ibn al-Rabi|ファドル]]に任せきりだったともされる<ref>前嶋信次『イスラムの時代』([[講談社]]、2002年)196頁</ref>。
 
== 脚注 ==
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*[[サイイド・アミール・アリ|アミール・アリ]]『回教史 A Short History of the Saracens』(1942年、善隣社)
 
{{先代次代|[[アッバース朝]][[アッバース朝#歴代カリフ|カリフ]]|[[809年]] - [[813年]]|[[ハールーン・アッ=ラシード]]|[[マムーン]]}}
 
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[[Category:アッバース朝の君主]]
[[Category:9世紀アジアの君主]]
[[Category:マアムーン]]
[[Category:ハールーン・アッ=ラシードの子女]]
[[Category:暗殺された人物]]
[[Category:787年生]]
[[Category:813年没]]