「岩波映画製作所」の版間の差分

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岩波映画は大きく分けて3つの分野の作品を製作した。1つはさまざまな企業をスポンサーとした産業映画である。産業映画では「佐久間ダム」シリーズ(1954-59年)をはじめ、電力、造船、製鉄、電機メーカーなど日本の主要な大企業が名を連ねている{{Sfn|丹羽・吉見|2012|p=8}}。2つめは物理や化学、生命や医療など、科学的な原理や現象、ものの見方を紹介するために作られた科学映画である。設立者の中谷は映画を使って戦後の理想的な科学教育を実践しようとした。岩波映画はテレビの科学映画の草分けと言われる「たのしい科学シリーズ」(1957-62年:日本テレビ系)や、科学の基礎概念を教えるための教材映画「科学教育映画体系」シリーズ(1967-73年)など多数の優れた科学映画を製作した。これらの映画は今見ても新鮮な驚きと発見に満ちている{{Sfn|丹羽・吉見|2012|pp=8-9}}。
第3の分野は人々の暮らしや生活を描いた教育映画や社会教育映画である。岩波映画独自の科学的な観察眼は人々の生活にも向けられた。こどもたちの自然な表情をとらえて当時の映画界に衝撃を与えた羽仁進の「教室の子供たち」(1965年)、羽田澄子の「村の婦人学級」(1957年)、時枝敏江の「町の政治」(1967年)、土本典昭の「ある機関助士」(1963年)などがある{{Sfn|丹羽・吉見|2012|p=10}}。
 
== 沿革 ==