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| 公式サイト =
| 主な作品 = <!-- 皆が認める代表作品を入力 -->
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| ブルーリボン賞 =
| ローレンス・オリヴィエ賞 =
| 全米映画俳優組合賞 =
| トニー賞 =
| 日本アカデミー賞 =
| その他の賞 =
| 備考 =
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==人物・エピソード==
鈴木は新東宝作品『富士山頂』で映画現場に参加するが、この時期、ミニチュアを操作する「操演」部門は映画界にまだなく、「特機」スタッフがこれを行っていた。東宝入社後、1962年に特技課に職場転換するが、その理由として「とにかく特撮が面白かったから」と語っている。円谷組に入ってすぐの仕事は怪獣の「尻尾振り」だった。この時期は、ミニチュア操作全般を指す「操演」という言葉はまだなかったという。「操演」という言葉は、円谷監督の依頼で、当時特撮助監督だった[[中野昭慶]]が「操作演出」の略語として、苦労の末考えだした言葉だった<ref>『宇宙船Vol68』(朝日ソノラマ)「特撮基本大図鑑」第四回「操演」{{要ページ番号R|date=2016年4月宇宙船Vol.68}}</ref>
 
『キングコング対ゴジラ』で、怪獣の口の開閉に初めて有線のラジコンを仕込んだ。これは1枚の平板ギアを軸に3枚のギアが取り巻くモリコウの「ユウセイギア」を、マブチモーター1個で動かす仕掛けだった。[[円谷英二]]監督に「きみ、出来るのか」と聞かれ、「やりましょう」と引き受けたという。以来、特撮映画で怪獣の口が遠隔操作できるようになった。怪獣の機電では、眼に電飾を仕込んで動かしたり、瞼の開閉の仕掛けを仕込んだりと、様々なアイディアを案出したが、「円谷さんの株も上がったし、なにより僕自身が面白かったんで、メカニックをたくさんやるようになりました」と語っている。
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{{Reflist
|refs=
<ref name="宇宙船Vol.68">{{Harvnb|宇宙船|1994|pp=48|loc=「特撮基本大図鑑(第4回「操演)」}}</ref>
<ref name="20th99">{{Cite book|和書|date=2018-06-09|title=スーパー戦隊OfficialMook 20世紀 1999 [[救急戦隊ゴーゴーファイブ]]|publisher=[[講談社]]|series=講談社シリーズMOOK|page=33|chapter=スーパー戦隊制作の裏舞台 [[佛田洋]]|isbn=978-4-06-509611-6}}</ref>
}}
==参考文献==
{{参照方法|section=1|date=2016年4月17日 (日) 00:19 (UTC)}}
*{{Cite journal|和書 |date=1994-06-01 |editor=村山実|journal=[[宇宙船]] |issue=Vol.68 |publisher=[[朝日ソノラマ]] |id = 雑誌コード 01843-06 |ref={{SfnRef|宇宙船Vol.68|1994}}}}
*『宇宙船Vol68』(朝日ソノラマ)「スペシャル・インタビュー 鈴木昶」
*『大ゴジラ図鑑』(ホビージャパン)
*『ガメラから大魔神まで 大映特撮映画のすべて』(近代映画社)