「一斉授業」の版間の差分

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== 一斉指導の利点と問題 ==
一斉授業では児童・生徒の教育水準がほぼ均等化され、[[学力]]の差が生じにくい。クラスの仲間との一体感や切磋琢磨ができることで学習のモチベーションが維持しやすいというものがあり、自分だけで学習を進めにくい生徒に対して学習へ導きやすい。また、適切な発問を考え、それを適宜生徒に与えていくと、生徒はそれをきっかけに考え、多様な答えを出してくる。様々な考えがぶつかりあって、多様な発展をもたらすことができる。しかし、適切な発問を考えるには、教材への理解と子どもへの理解がともに深くなければならず、一斉授業は教師の力量に大きく依存した形態となり、生徒の学力もそれに左右されることになる
 
一方で、学級の平均よりもやや下の児童・生徒の理解度を基準とする必要があるため、授業内容はそれに準じた内容を選択する必要性が生じる。理解の遅い子は取り残され落ちこぼれが発生しやすく、理解の早い子は足止めされて、しばしば「内容が簡単すぎる」「物足りない」という不満も出てくる。授業内容があらかじめ知っていたものだった場合、その時間が無駄になってしまう。また個々の児童・生徒の興味、関心、個人差には応えにくく、教師からの詰め込み型、押し付けになりやすいという問題もある。この面から見れば学習のモチベーションは低くなってしまう
 
単純な知識習得詰め込みという面で見た場合でも考える時間、まとめ発表する時間などが入る一斉授業の形式は[[個別習]]に比べ知識習得の学習効率も悪くなる。限られた時間内で共通のペースでクラス全体を理解させなければならず、個人個人に合ったペースで理解できるまで説明を受けるといったことがしにくく落ちこぼれが発生しやすい
 
授業の質次第で生徒の学力が左右されることもあり、均質化のために指導内容を細かく規定される傾向があり、面白みや多様性のある授業になりにくい。
 
そうした欠点は、[[グループ学習]](分団学習、小集団学習)や[[個別学習]]を平行して進めることで補う必要がある{{Sfn|別府愛|2000|pp=188-189}}。また、近年の日本においては[[チームティーチング]]の試みも広がってきている{{Sfn|別府愛|2000|p=187}}。