「岩波映画製作所」の版間の差分

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第3の分野は人々の暮らしや生活を描いた教育映画や社会教育映画である。岩波映画独自の科学的な観察眼は人々の生活にも向けられた。こどもたちの自然な表情をとらえて当時の映画界に衝撃を与えた羽仁進の「教室の子供たち」(1955年)、羽田澄子の「村の婦人学級」(1957年)、時枝敏江の「町の政治」(1967年)、土本典昭の「ある機関助士」(1963年)などがある{{Sfn|丹羽・吉見|2012|p=10}}。
 
岩波映画は当時の企業としては珍しい民主的な会社で、男女差別がなく待遇給料は同じで女性が監督演出{{refnest|group="注"|岩波映画では制作責任者だった吉野馨治の「記録映画は現場を演出家が演出して作るんだ。監督ではない」という考えで監督という呼び名は使わず「演出」と呼んでいた{{Sfn|丹羽・吉見|2012|p=239}}。}}をした映画も多数ある{{Sfn|丹羽・吉見|2012|p=242}}。
 
== 沿革 ==