「横川駅 (群馬県)」の版間の差分

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|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = [[信越本線]]
|開業年月日 = [[1893年]]([[明治]]26年)[[4月1日]]
|廃止年月日 = [[1997年]]([[平成]]9年)[[10月1日]]
|備考 = 北陸新幹線開業による並行在来線の経営分離により廃止
}}
'''横川駅'''(よこかわえき)は、[[群馬県]][[安中市]][[松井田町横川]]398番地にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[信越本線]]の[[鉄道駅|駅]]。信越本線の群馬県側の現在の[[終着駅]]{{R|zeneki12}}。
 
== 概要 ==
[[北陸新幹線]]の[[高崎駅]] - [[長野駅]]間(通称・[[長野新幹線]])が部分開業した[[1997年]]([[平成]]9年)[[10月1日]]以降、信越本線の群馬県側の終着駅となっている<ref name="shinmai-np-1997-10-1-4">“信越線碓氷峠104年の歩みに幕 列車は思い出の中へ” [[信濃毎日新聞]] (信濃毎日新聞社). (1997年10月1日)</ref>。1 - 3番線の線路は構内のはずれにコンクリート製の車止めが設置され途切れているが、かつては[[碓氷峠]]を越えて[[軽井沢駅]]へ複線電化の線路がつながっており、碓氷峠越えの拠点駅であった。碓氷峠には最大66.7[[パーミル|‰]]という国鉄・JR史上最急勾配があり、列車が走破するためには[[補助機関車|補機]]である[[国鉄EF63形電気機関車|EF63形電気機関車]]を連結・解放する必要があった<ref name="shinmai-np-1997-10-1-4" />。そのため、基本的には全ての列車が客扱いし長時間停車した<ref>夜行急行列車『[[能登 (列車)|能登]]』や臨時列車『[[ファンタジー舞浜]]』など深夜に通過する列車の場合は客扱いをせず、運転停車の上連結・解放・乗務員交代を行った。</ref>。その時間を利用して乗客が購入していたのが「[[峠の釜めし]]」で、製造販売している「[[荻野屋|おぎのや]]」は駅前にある。
 
[[広島県]]の[[山陽本線 (広島地区)|山陽本線]]・[[可部線]][[横川駅 (広島県)|横川駅]](こちらの読みは「よこがわ」)と区別するため、乗車券には「(信)横川」と印字される<ref>広島県の横川(よこがわ)駅で発券される切符には「(陽)横川」と印字される。</ref>。
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[[ファイル:JRE Yokokawa Station platform 19970716.jpg|thumb|軽井沢からの列車(1997年7月)]]
* [[1885年]]([[明治]]18年)[[10月15日]]:官設鉄道により高崎駅 - 当駅間開業に伴い、開業<ref name="RP641-60">{{Cite journal|和書 ||author = 祖田 圭介(鉄道総合技術研究所) |title = 横川駅と軽井沢駅の配線の今昔 |date = 1997-08 |journal = 鉄道ピクトリアル |volume = 47 |issue = 8 |pages = 60-62 |publisher = 株式会社電気車研究会(鉄道図書刊行会) }}</ref><ref>[{{NDLDC|2943899/9}} 「広告」『官報』1885年10月16日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* [[1888年]](明治21年):)[[9月5日]]:当駅前から軽井沢駅まで[[碓氷馬車鉄道]]開通。
* [[1893年]](明治26年)[[4月1日]]:官設鉄道により当駅 - 軽井沢駅間開業<ref name="RP641-10">{{Cite journal|和書 ||author = 小西 純一(信州大学工学部助教授) |title = 碓氷峠の鉄道をめぐる興味 |date = 1997-08 |journal = 鉄道ピクトリアル |volume = 47 |issue = 8 |pages = 10-19 |publisher = 株式会社電気車研究会(鉄道図書刊行会)}}</ref>。
** 開業当時は、[[アプト式|アプト式鉄道]]を採用<ref name="RP641-10"/>。碓氷馬車鉄道が廃止。