「一斉授業」の版間の差分

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また、適切な発問を考え、それを適宜生徒に与えていくと、生徒はそれをきっかけに考え、多様な答えを出してくる。様々な考えがぶつかりあって、多様な発展をもたらすことができる。しかし、適切な発問を考えるには、教材への理解と子どもへの理解がともに深くなければならない<ref>{{Cite web|url=http://www.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wakei/ma4k/shiryo/gairon20101111.htm|title=教育学概論 授業論|publisher=文教大学|date=2010-11-11|accessdate=2021-12-29}}</ref>。
 
一方で、「得意」「苦手」や「理解のペース」には個人差があるにもかかわらず、全員が画一的な指導を受けることとなり、特に人数が多ければ多いほど、全員が満足いくような講義は難しくなる<ref name=":0" />。授業は「中の下」くらいの学力層に焦点を当てて進めることが多くなる。あまりレベルを上げると、ついてこられない子が増える。逆に、あまり下げると進度が遅れて、教科書が終わらない事態になる。よって理解していないことがわかっていても、授業を次に進めていかなければならない<ref>{{Cite web|url=https://toyokeizai.net/articles/-/470633|title=日本の子が授業中「座っているだけ」に陥る真因 「置いてけぼり続出」の一斉授業をどうすべきか|publisher=親野 智可等|date=2021-11-24|accessdate=2021-12-29}}</ref>。結果的に落ちこぼれる子が出てくるが、そうした子に十分なフォローをする時間はないため落ちこぼれたままになりやすい。そして同じペースで授業を進める以上、理解の早い子が勝手に先に進むのは止めなければならない<ref>{{Cite web|url=https://toyokeizai.net/articles/-/285091|title=「落ちこぼれる子供」が学校で必ず出る根本原因 150年続く公教育の「限界点」が露呈してきた|publisher=苫野 一徳|date=2019-07-30|accessdate=2021-12-29}}</ref>。また個々の児童・生徒の興味、関心、個人差には応えにくく、教師からの詰め込み型、押し付けになりやすいという問題もある。出来合いの問いと答えを中心にしたものをこの面から見形式でやれば学習子どもたちに、何モチベーションは低くためにこん勉強をしなければならないのかという疑念や息苦しさを与えてしまう可能性もある<ref>{{Cite web|url=https://gendai.ismedia.jp/articles/-/79426?imp=0|title=気鋭の教育行政官が描く、「教育を変える」ための設計図|publisher=山口裕也|date=2021-01-27|accessdate=2021-12-29}}</ref>
 
そうした欠点は、[[グループ学習]](分団学習、小集団学習)や[[個別学習]]を平行して進めることで補う必要がある{{Sfn|別府愛|2000|pp=188-189}}。また、近年の日本においては[[チームティーチング]]の試みも広がってきている{{Sfn|別府愛|2000|p=187}}。