「朝鮮共産党」の版間の差分

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再建された朝鮮共産党は、名目上は朝鮮全域にわたる組織であり、朝鮮人共産主義者を指導する唯一の前衛政党であった。しかし、それまで国外で活動しさまざまな背景を持つ共産主義者たちが次々に朝鮮に帰国することで事態は複雑なものになった。中国共産党の指導のもと中国本土で活動していた「[[延安派]]」、ソ連共産党の党籍を持ちソ連軍とともに入ってきた「[[ソ連派 (朝鮮)|ソ連派]]」、そして金日成ら満州の中国共産党の[[抗日パルチザン]]でのちソ連軍に編入された[[満州派 (朝鮮労働党)|満州派]]」などである。これに対し、日本統治下の朝鮮にとどまり続けた朴憲永らを「国内派」という。北半部を占領統治するソ連の意向もまじえ、朝鮮の共産主義運動の主導権をめぐる抗争が以後繰り広げられることになる。
 
ソウルの朝鮮共産党は当面の革命段階をブルジョワ民主主義革命と規定して民族統一戦線を志向し、[[朝鮮人民共和国]]などの運動にも中心的な役割を果たした<ref name="fujii2002">藤井(2002)</ref>。朝鮮共産党は当初は米軍政に対しても協調的であった<ref name="fujii2002" />。1945年12月28日に[[モスクワ三国外相会議]](米国・英国・ソ連)で朝鮮の信託統治案が明らかになると、[[金九]]([[大韓民国臨時政府]]グループ)ほかの諸党派とともに信託統治反対(反託)で一致するが、1946年1月2日に朝鮮共産党は突如信託統治支持を表明<ref>{{Cite web|title=今日の歴史(1月2日)(聯合ニュース)|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/747a522ebe57dc4f2b0acdfe4da1d421c5a2c6fc|website=Yahoo!ニュース|accessdate=2022-01-01|language=ja}}</ref>、3日に三国外相会議決定支持大会を開催し、反託の気運の中で混乱と失望をもたらした。
 
=== 朝鮮共産党北部朝鮮分局 ===