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1507年7月24日、町は製粉所を建設したナバラ女王[[カタリナ (ナバラ女王)|カタリナ]]に忠誠と敬意を表した。
 
1523年、オラニエ公フィリベール・ド・シャロンが率いるカスティーリャ軍が町を占領し、防御施設を破壊した。1538年から1549年まで、ナヴァランクスは最新システムの要塞を備えていた。エンリケ2世と王妃[[マルグリット・ダングレームド・ナヴァル|マルガリータ]]時代、イタリア人建築家ファブリシオ・シチリアーノによるもので、高さ10m全長1.66kmの城壁、土で目張りされた壁、防備を施した門、[[トスカーナ]]の[[ルッカ]]城砦を手本とした4か所の稜堡、凸角堡、[[ラヴリン|半月堡]]、[[張り出し櫓]]、地下回廊を備えていた。火薬庫と軍の泉が、後にできた工廠と同様にこの防御システムを完成させた。
 
1569年の3月から7月にかけて、[[ガブリエル・ド・ロルジュ]]の援軍が到着するまで、ベアルンの[[ユグノー]]たちはフランス軍に抵抗することで、要塞の有効性を証明する必要があった。フランス王[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]の不本意な弑逆者の過程に自らを投じたベアルンとビグルダンの教会は、取り返しのつかない破壊行為に苦しんだ。