「福羽逸人」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
→来歴・人物: 加筆 |
||
37行目:
1906年(明治39年)には東京市の依頼で、市内の街路樹の試験研究を受嘱する。長年の経験を基に、[[白沢保美]]と協力立案し[[スズカケノキ]]挿穂2万本、[[ユリノキ]]の種子数種を交附し育成を指導した結果、3年で街路樹木を育成定植させた。
1907年(明治40年
1913年(大正2年)に[[大膳寮|大膳頭]]ならびに[[内匠寮]]御用掛に就任。これは翌年、京都の[[二条城]]で行われる[[大正天皇]]の即位礼「大饗」の指揮監督官を担ったものであった。福羽はこれまでにも新宿御苑において栽培した西洋野菜や果物を宮中晩餐会で用いたり、洋ランなどの花卉で会場を装飾するなどの饗宴を手掛け、また海外留学や渡航実績、国内外の国家行事への知識や経験が豊富であったことも高評価され、大正4年に行われる大饗指揮官に大抜擢される。
|