「用不用説」の版間の差分
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{{出典の明記|date=2013年6月23日 (日) 17:58 (UTC)|ソートキー=生物}}
'''用不用説'''(ようふようせつ、{{lang-en-short|use and disuse theory}})は、
== ラマルクの進化論 ==
ラマルクは[[無脊椎動物]]<ref>{{Cite journal|last=SATO|first=MINORU|date=2002|url=https://doi.org/10.2331/suisan.68.909|journal=NIPPON SUISAN GAKKAISHI|volume=68|issue=6|pages=909–910|doi=10.2331/suisan.68.909|issn=1349-998X}}</ref>の分類研究を元に、動物の体の仕組みが簡単なものから、次第に高度なものへと変化することで高等な動物が生まれたのだとの確信を得て、そのような変化の起きる仕組みとして、次のような説明を示した。
よく[[キリン]]の首が引き合いに出される。キリンは[[ほ乳類]]の中にあって、他のものと比べて異様に首が長い。それを進化で説明しようとすれば、元は首が短かったと見るのが当然である。そこで、キリンの首が長いのは高い枝にある木の葉を食べようとして、いつも首を伸ばしていた。そのために次第に首が長くなり、大人になるまでには首が長く、強くなる。そのようなキリンが子供を生めば、生まれた子供にはその形質がわずかに伝わるので、親が生まれたときよりも、その子供の首は少しだけ長くなっている(はずだ)。キリンはそのような生活を何千年にもわたってアフリカのサバンナで繰り返していた。その結果長い年月の間に首が伸びたと考えるものである。
彼の進化論は、生物側に変化の主体性があるのが特徴である。
▲* 動物がその生活の中でよく使う器官は、次第に発達する。逆に、はじめから存在する器官であっても、その生活の中で使われなければ、次第に衰え、機能を失う。
▲*野外では、多くの動物は一定の環境下で何千、何万年にもわたって世代を繰り返すから、世代ごとの蓄積は少しであっても、それが続くことで次第に大きな変化となる。
ラマルクの進化論は多くの学者の注目を引きつつも、批判が多かったようである。特に、獲得形質の[[遺伝]]の可否については、すぐにさまざまな問題点が指摘された。特に有名な
これに対して
この実験への批判としてもう一つ可能なのは、実験期間が短すぎる、というものである。せめて100年続ければ、何か結果が出たかも知れない。これは、進化に関する実験の難しさでもある。
ラマルクの用不用説は素朴でなじみやすいが、科学的説明としては問題も多く、その後そのままの形でこれを主張するものはいなかった。しかし、生物側に進化の主体性を求める主張は繰り返しあり、そのような主張を[[ネオ・ラマルキズム]]と呼ぶ。
[[チャールズ・ダーウィン]]の[[自然選択説]]が発表されたことで、進化論の正当性が認められ、進化論の中心はその後はずっとダーウィニズムと、その継承であるネオ・ダーウィニズムへと続くことになるが、その理論は完全に機械的で、その説明によれば、生物の進化は偶然にのみ左右されるように見える。そこに疑問を感じてネオ・ラマルキズムに近づくものがいるのも事実である。
▲=== 進化論自体への批判 ===
▲有名な反論は、[[アウグスト・ヴァイスマン]]が[[ネズミ]]を使って行った実験である。彼はネズミの尾を切り取り、それを育てて子を産ませ、その子ネズミもしっぽを切って育て、それを22世代にわたって繰り返し、ネズミの尾の長さに変化が生じなかったことを示した。
▲これに対して、用不用説を支持する者による擁護は、「ネズミにとっては尾は必要な器官であるから、使わなかったのとは訳が違う」という理屈である。しかし、生物が「必要な器官」をどう区別するのかについて支持者は説明していない。
== 脚注 ==
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*[[ボールドウィン効果]]
*[[トロフィム・ルイセンコ]]
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