「マクシミリアン・レンツ」の版間の差分

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1903年から翌年の冬にかけて、彼は[[グスタフ・クリムト]]と[[ラヴェンナ]]を訪れ、そこで観た黄金のモザイク作品から影響を受ける<ref>{{ cite book | page = 32 | title = Relazioni | author = Günther Berger | publisher = Peter Lang | year = 2009 | isbn = 9783631569221 }}</ref>。
 
1904年の第20回展では、レンツの絵画「イズンの林檎」がクリムトや[[ルドルフ・フォン・アルト]]の作品と共に、展示作品のひとつの目玉とされており、その[[オーブリー・ビアズリー]]と似た作風の大きな絵は金と黒による豪華な効果を生み出した。黒髪の女性は緑豊かな風景の中で金色の王冠をかぶって金色のマントの上に座り、手には[[イズン]]の林檎([[黄金の林檎]]も)を持っている<ref>{{ cite journal | title = Wiener Brief | pages = 373–374 | journal = Kunstchronik: Wochenschrift für Kunst und Kunstgewerbe | url = http://digi.ub.uni-heidelberg.de/diglit/kunstchronik1904/0195 | volume = 23 | date = 29 April 1904 | author = Ludwig Hevesi | author-link = Ludwig Hevesi }}</ref>。
 
レンツは同派のなかで、最初の10年間は[[ラファエル前派]]の影響を受けていたが、1910年以降は自然主義的となり、1918年以降、彼の名声は衰微した<ref name="öbl" />。