「ヴィクター・ヤング」の版間の差分

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[[イリノイ州]][[シカゴ]]出身のポーランド系[[ユダヤ人]]。最初コンサートヴァイオリニストとして出発したが、テッド・フィオリト楽団に参加したことで、[[ポピュラー音楽]]の分野に移った。多くの軽音楽を作り、[[ビング・クロスビー]]などの歌手に曲を提供した。1930年代中頃より[[映画音楽]]に専念するために、[[ハリウッド]]に移った。
 
彼は[[アカデミー賞]]に22回ノミネートされたが、生前に受賞することはできず、死後に『[[八十日間世界一周 (映画)|八十日間世界一周]]』(1956年)で[[アカデミー作曲賞]]を受賞した。『[[ゴールデン・ボーイ]]』(1939年)、『[[ガリヴァー旅行記 (1939年の映画)|ガリヴァー旅行記]]』(1939年)、『[[誰が為に鐘は鳴る]]』(1943年)、『[[ラブ・レター (1945年の映画)|ラブレター]]』(1945年)、『[[サムソンとデリラ (1949年の映画)|サムソンとデリラ]]』(1949年)、『[[愚かなり我が心]]』(1949年)、『血闘』(1952年)、『[[静かなる男]]』(1952年)、『[[戰う雷鳥師団]]』(1952年)、『[[シェーン]]』(1953年)、『[[大砂塵]](ジョニー・ギター)』(1954年)などがある。最後の作品はヤングの死後、[[1957年]]に[[パラマウント映画]]から公開された[[コーネル・ワイルド]]主演の『[[勇者カイヤム]]』であった。
 
[[カリフォルニア州]][[パームスプリングス (カリフォルニア州)|パームスプリングス]]で[[脳出血]]のため57歳で死去。