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'''ゲオルク・ハイム'''(Georg Heym、[[1887年]][[10月30日]] - [[1912年]][[1月16日]])は、[[ドイツ]]の詩人。
 
ニーダーシュレージエンのヒルシュベルク(現在のポーランド領[[イェレニャ・グラ]])に生まれる。[[ノイルピーン]]のギムナジウムを卒業後、[[ヴュルツブルク]]の大学で法学を学ぶ。同時に詩作、劇作に手を染め、司法官試補になったもののすぐ勤めを辞めて文学活動に専念。1905年から1910年までは劇作に集中し、三篇の完成稿と多数の断片を残している。1910年には{{仮リンク|クルト・ヒラー|en|Kurt Hiller}}を中心とするベルリンの前衛的な芸術家集団「ノイエ・クラブ」のメンバーとなり、以後2年間は詩、散文を旺盛に執筆したが、1912年にベルリン近郊の川で[[スケート]]中に事故死した。
 
初期の作風は[[ロマン主義]]ないし[[印象派]]の影響が濃いが、その後都会の病苦や孤独を幻視的に描き出す作風を確立し、初期[[表現主義]]の代表的な詩人と目される。
 
== 詩 ==
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[[Category:20世紀ドイツの詩人]]
[[Category:20世紀ドイツの劇作家]]
[[Category:事故死した人物]]
[[Category:シレジア・ドイツ人]]