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{{基礎情報 皇
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| 画像説明 =
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| 称号 = ▼
| 改名 =
| 別名 = 法三宮、円成寺宮
▲| 敬称 =
| 戒名 =
▲| 出生日 = [[仁和]]2年([[886年]])
|
| 官位 = [[品位 (位階)|三品]][[上総国|上総太守]]
▲| 死亡日 = [[延長 (元号)|延長]]5年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]]([[927年]][[10月13日]])
▲| 没地 =
| 兄弟 = [[醍醐天皇]]、[[斉中親王]]、'''真寂入道親王(斉世親王)'''、[[敦慶親王]]、[[敦固親王]]、斉邦親王、[[均子内親王]]、[[柔子内親王]]、[[君子内親王]]、戴明親王、[[敦実親王]]、孚子内親王、成子内親王、依子内親王、行中親王、誨子内親王、季子内親王、雅明親王、行明親王、[[源順子]]、[[宇多天皇#后妃・皇子女|他]]
| 特記事項 =
▲| 配偶者2 = [[橘公廉]]女
▲| 子女 = [[源英明]]、[[源庶明]]
▲| 父親 = [[宇多天皇]]
}}
'''真寂入道親王'''(しんじゃく にゅうどうしんのう、正字体:'''眞寂'''
== 経歴 ==
[[寛平]]8年([[896年]])11歳の時に[[大学寮]]において講書初めが行われ、[[昌泰]]元年([[898年]])11月に[[元服]]した。その後[[兵部卿]]・[[上総国|上総太守]]などを歴任した。しかし[[延喜]]元年([[901年]])、岳父の[[菅原道真]]が、斉世親王の兄である[[醍醐天皇]]から斉世親王に譲位させようとしたという嫌疑で[[九州]][[大宰府]]に左遷される([[昌泰の変]])と、斉世親王は[[仁和寺]]に入って真寂と名乗った。その後は欣求修行につとめ7回の[[灌頂]]を受けたという。三品に叙された。▼
[[仁和]]2年([[886年]])、臣籍に降下していた源定省の三男・源斉世として生まれる。仁和3年([[887年]])、父(宇多天皇)の皇籍復帰と即位に伴い、皇族に列することになった。
▲[[寛平]]8年([[896年]])11歳の時に[[大学寮]]において講書初めが行われ、[[昌泰]]元年([[898年]])11月に[[元服]]した。その後[[品位 (位階)|三品]]に叙され、[[兵部卿]]・[[上総国|上総太守]]などを歴任した。しかし[[延喜]]元年([[901年]])、岳父の[[菅原道真]]が、斉世親王の兄である[[醍醐天皇]]から斉世親王に譲位させようとしたという嫌疑で[[九州]][[大宰府]]に左遷される([[昌泰の変]])と、斉世親王は[[仁和寺]]に入って真寂と名乗った。その後は欣求修行につとめ7回の[[灌頂]]を受けたという。
== 経歴 ==
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