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== 権力の掌握と改革 ==
[[紀元前207年]]、[[マンティネアの戦い (紀元前207年)|マンティネアの戦い]]でスパルタ王[[ペロプス (スパルタ王)|ペロプス]]の[[後見人]][[マカニダス]]が敗死し、ナビスはその後任に就いた。しかし、ナビスはエウリュポン朝の王[[デマラトス]]の子孫を自称してペロプスを廃位し、[[紀元前206年]]に処刑した。こうしてナビスはスパルタの支配者の地位に着き、[[王]]を称した。しかし、[[リヴィウス]]や[[ポリュビオス]]は彼を王とは呼ばず、彼を[[僭主]]と呼んでいる。
 
権力を掌握したナビスは[[紀元前3世紀]]末の改革者[[クレオメネス3世]]の路線を取った。彼は裕福者を追放して彼らの土地の再分配を行い、多くの[[奴隷]]を解放して市民階級に上げた。こうした市民の増大は兵力の増大を意味しており、彼のスパルタ再興のための布石であった。他方、ナビスについてリヴィウスとポリュビオスは軍事力と残虐さによって権力を掌握した血に飢えた[[暴君]]として言及しており、例えばポリュビオスはナビスの支持者を「殺人者の集団、夜盗、すりと追いはぎ」であるとか(ポリュビオス、『世界史』、13、6)、追放された裕福者の妻を[[山賊]]や元奴隷と結婚させた(ibid、13、6-7)と述べている。
[[紀元前207年]]、[[マンティネアの戦い (紀元前207年)|マンティネアの戦い]]でスパルタ王[[ペロプス (スパルタ王)|ペロプス]]の[[後見人]][[マカニダス]]が敗死し、ナビスはその後任に就いた。しかし、ナビスはエウリュポン朝の王[[デマラトス]]の子孫を自称してペロプスを廃位し、[[紀元前206年]]に処刑した。こうしてナビスはスパルタの支配者の地位に着き、[[王]]を称した。しかし、[[リヴィウス]]や[[ポリュビオス]]は彼を王とは呼ばず、彼を[[僭主]]と呼んでいる。
 
権力を掌握したナビスは[[紀元前3世紀]]末の改革者[[クレオメネス3世]]の路線を取った。彼は裕福者を追放して彼らの土地の再分配を行い、多くの[[奴隷]]を解放して市民階級に上げた。こうした市民の増大は兵力の増大を意味しており、彼のスパルタ再興のための布石であった。他方、ナビスについてリヴィウスとポリュビオスは軍事力と残虐さによって権力を掌握した血に飢えた[[暴君]]として言及しており、例えばポリュビオスはナビスの支持者を「殺人者の集団、夜盗、すりと追いはぎ」であるとか(ポリュビオス、『世界史』、13、6)、追放された裕福者の妻を[[山賊]]や元奴隷と結婚させた(ibid、13、6-7)と述べている。
 
== 対外政策 ==