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== 生涯 ==
早くに二親を亡くし、弟と2人で猟師をしていた。役所が付近の住民に虎狩りを命じると、弟と共に山に入って罠を仕掛ける。首尾よく虎に毒矢を当てるが、地元の長者、毛太公の屋敷に逃げ込まれた。2人は屋敷を訪ねるが、手柄を横取りしようとした毛太公によって虎は隠されてしまう。詰め寄る2人は強盗だと濡れ衣を着せられて、毛太公の女婿である孔目(裁判官)の[[王正]]によって牢に入れられる。親類の牢番、[[楽和]]と孫一家の手引きで牢を破って、毛太公・毛仲義父子一家および王正らを殺害すると、梁山泊に身を寄せるために登州を離れた。おりしも梁山泊は祝家荘との戦いに苦慮していた。解兄弟と孫一家は祝家荘に味方する振りをして潜入し、内応して戦いを勝利に導いた。
 
梁山泊では歩兵軍の頭領となり、猟師の技術を活かして偵察行動などに活躍、華州攻めや北京攻略では変装して潜入を行い、華州攻めでは非道の賀太守を討ち取った。また曾頭市攻めでは、解宝とともに曾家の次男・曾密の首を挙げている。百八星集結後も歩兵軍頭領として活躍する。[[遼]]国との戦いでは断崖に孤立した[[盧俊義]]軍の居場所をつきとめ、その救出に大きく貢献した。[[田虎]]、[[王慶 (水滸伝)|王慶]]との戦いでも敵将を複数討ち取り、山中で迷った[[楊志]]を救出する功を立てるが、[[瓊英]]に敗れて弟ともども敵軍に捕らわれたこともあった。