「滝善三郎」の版間の差分

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滝善三郎については、[[神戸事件]]以外の記録が見当たらない。しかし、彼の切腹は神戸事件を収拾させたのみならず、世界的にセンセーションを巻き起こすこととなる。検視に立ち会った当時の[[イギリス]][[外交官]]・[[アルジャーノン・ミットフォード|ミットフォード]]が滝の切腹の模様を本国に伝え、それをイギリスの新聞『[[イラストレイテド・ロンドン・ニュース|イラストレイテッド・ロンドン・ニュース]]』が銅版画<ref>[https://www.bigstockphoto.com/image-26736593/stock-photo-old-illustration-of-taki-zenzaburo-seppuku-in-kobe%2C-japan-original%2C-created-by-pauquet%2C-was-published-on-l-illustration%2C-journal-universel%2C-paris%2C-1868 Old illustration of Taki-Zenzaburo seppuku in Kobe] - [[:en:Bigstock|BIGSTOCK]]</ref>付きで報じたためである。
 
当時は「切腹」と言っても短刀を腹に当てた時点で介錯が首を落とすとか、さらには短刀代わりに扇子を使う「扇腹」(おうぎばら)などが一般的だったのだが(幕末期は本来の作法通りも少なくはなかった)、ミットフォードによると滝善三郎の切腹は古来よりの作法に則った形であった様である。ミットフォードは日本の作法についてもよく調べており、滝の切腹の模様を生々しい筆致で書き残している<ref>{{Cite book |url=http://www.gutenberg.org/files/13015/13015-h/13015-h.htm|author=[[:en:Algernon Freeman-Mitford, 1st Baron Redesdale|Algernon Bertram Freeman-Mitford]] |year=2004, original publication in 1871 |title=Tales of Old Japan |publisher=The Project Gutenberg eBook |pages=281-284 }}</ref>。
 
善三郎の切腹により、息子の成太郎(しげたろう)は備前公の[[直参]]に引き立てられ、500[[石 (単位)|石]]を賜った。善三郎の跡目は、娘が婿を取って継ぎ、こちらも100石を賜った<ref>『運命の影に』p58</ref>。