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賈充の母は節義を重んじ、曹髦を殺害した成済の不忠を常々罵倒していた。しかし、成済に殺害を命じたのが息子であるとは知らず、周囲の冷笑を買っていた。母は死に臨んで、賈充に先妻の李婉を呼び戻すよう言い残して事切れた。
 
当初、賈充は[[李婉]](魏の[[李豊 (曹魏)|李豊]]の娘)を娶っていたが、李豊が謀反の罪で司馬師に殺害されると、郭槐(郭配の娘。郭配は[[郭淮]]の弟)を後妻に迎えた。李氏が死去すると、李氏の娘は父との合葬を願い出たが、賈南風が許さなかったため、賈南風の死後にようやく合葬することができた。また、李氏は『女訓』を著した。
 
賈充には男子がおらず、彼の死後本来ならその血統は断絶するところであったが、妻の郭槐が強く願い出た事もあり、特例として娘の賈午の息子である外孫の[[賈謐|韓謐]](後に賈謐と改姓)を、後継者として迎え入れる事が許された<ref>『晋書』巻40「充遂無胤嗣。及薨,槐輒以外孫韓謐爲黎民子,奉充後。」</ref>。