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[[1950年]][[9月5日]]、マヌス島に収容されていた戦犯ら16人が[[横浜港]]に帰国した<ref>「マナス島の戦犯帰る」『日本経済新聞』昭和25年9月6日2面</ref>。
 
マヌス島に第二次世界大戦前及び戦後に暮らしたアメリカの[[文化人類学者]]である[[マーガレット・ミード]]その著書『''Growing up in New Guinea''』で島の様子を詳述している。
 
[[オーストラリア]][[パシフィック・ソリューション]]の一環として2001年、マヌス島に拘留センターを建設した。これは難民申請者のオーストラリア国内滞在を許さず、国外で難民審査を行うための施設である。センター最後の収容者はアラジン・シサーレムで、彼は2003年7月から独房に収容され、2004年6月に亡命者保護が許可された。
 
その後、オーストラリアによる難民施設は再開され、2016年現在もスーダン人をはじめとした多数の難民の収容が続けられている<ref>[http://www.cnn.co.jp/world/35094372.html 島の施設の収容者ら、難民男性の死めぐり豪政府を非難]CNN.co.jp(2016.12.27)</ref>。