「李奎報」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
田英 (会話 | 投稿記録)
字と政治家としての功績(元の撤兵)とを追記。
6行目:
}}
 
'''李奎報'''(りけいほう、[[1168年]] - [[1241年]])は[[高麗]]の文人。字は春卿、号は白雲。幼時より文筆の才能に優れ、9歳で奇童と呼ばれ、さらに四書五経・仏教・道教の書物を読みこなし、詩文に長けたという。8000を超える詩作は『[[東国李相国集]]』に収められている。また説話文学である「[[白雲小説]]」も有名。[[崔瑀]]政権のもとで政治家としても活躍し、[[1232年]]には[[元 (王朝)|元]]の侵入にあたって、元の[[オゴデイ|太宗]]に書状を提出して撤兵させたといい、その功績によって枢密福使吏部尚書・集賢殿大学士参治政事を拝命した
 
 
== 代表的な詩作 ==
13 ⟶ 12行目:
*天宝詠史・・・[[唐]]の[[玄宗 (唐)|玄宗]]を題材とした長編詩。その退廃的な生活が国を滅ぼしたことを歌い、以て高麗王朝への批判とした。
*家圃六詠・・・「冬に備えて瓜や蕪を塩漬けにする」という表現が見られ、[[キムチ]](の原型)の朝鮮での文献初出例とされる。
 
{{people-stub}}