「残留ロシア人 (南樺太)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
 
15行目:
[[第二次世界大戦]]後半になって戦況が悪化すると、南樺太に定住していたロシア人の多くは日本政府から敵性外国人として監視・拘留の対象となった。
 
第二次世界大戦終了間際の[[1945年]]8月の[[ソ連対日参戦]]とともに[[赤軍]]が南樺太に侵攻([[樺太の戦い (1945年)|樺太の戦い]])してソ連が南樺太を実効支配した際に残留ロシア人の多くは共産化によりこれまでの財産を失い、中には[[政治犯]]として処分される者もいた。ソ連実効支配化の樺太では残留ロシア人は無国籍として扱われ、1950年代までソ連国籍取得が認められなかった。当初は樺太に40万人以上の日本人がいたことから日露の言語に通じている残留ロシア人には通訳として収入を得る者もいたが、1948年までに日本人が日本に引き揚げたことで樺太では[[ロシア化]]が進んで日本語が不要なロシア語社会となり、南樺太に住んでいたロシア人はやがてソ連領内(ロシア本土や[[ウクライナ]]、北樺太など)から大量に移住してきた新住民とほぼ同化した。日本統治下の南樺太において日本語社会の中で過ごしたことで日本語が話せるロシア人がロシアにいるが、時代の経過によりそのような世代は死去しつつある。
 
== 出自 ==